小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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インフラ(12) 地域のためになくてなはらないものたち

小樽港(6)


完成当時の貯木場
完成当時の貯木場
戦後の小樽港
昭和25年 北海道開発庁発足
昭和26年 北海道開発局小樽開発建設部設置
     小樽港が重要港湾に指定
昭和28年 小樽市が港湾管理者となる
昭和38年 若竹地区の木材の荷捌き施設が完成
昭和41年 北浜町に物揚場完成
昭和42年 中央埠頭建設工事着工
昭和43年 小樽臨港鉄道株式会社設立
昭和45年 小樽-舞鶴・鶴賀フェリー就航
昭和46年 手宮町に物揚場完成 若竹地区水面貯木場が完成
昭和47年 有幌物揚場完成
昭和48年 勝納埠頭建設工事着工
昭和49年 色内埠頭建設工事着工
昭和50年 中央埠頭地下道完成
昭和52年 勝納大橋完成
昭和53年 若竹ドルフィン着工
昭和54年 勝納埠頭フェリーターミナル完成
昭和56年 かつない臨海公園完成

完成した二号埠頭貨物引込み線(昭和25(1950)年)
完成した二号埠頭貨物引込み線(昭和25(1950)年)
木材
 戦後の復興需要と建築需要とが重なり、さらに高度経済成長の波が押し寄せ、木材に注目が集まり、北洋材や南洋材を輸入し、小樽の木材加工業者が製材し、本州や海外に出荷される物流が始まる。勝納地区には木材製材の中小企業が密集する。したがって若竹地区の木材の荷捌き施設(昭和38)、若竹地区水面貯木場(昭和46)、若竹ドルフィン(昭和53)が整備されるが、次第に製材業務は人件費の安い韓国などに奪われたことにより、勝納地区の製材業者が撤退し、貯木場やドルフィンが不要になり、現在はマリーナとなっている。

フェリー乗船状況
フェリー乗船状況
飼料
 高度経済成長によって食糧需要が高まり、北海道における酪農産業が活気を呈する中で、飼料の調達も重要になっていく。今日のような大型のトラック便が普及する以前であったことから、小樽臨港鉄道株式会社設立(昭和43)され、小樽の第一・第二・第三埠頭には鉄道が敷き詰められ、各埠頭倉庫から飼料が積み出され出荷されていく。また日本配合飼料や日本農産工業などの配合飼料会社が小樽に設置され、豚・牛・鶏用に調合され出荷された。同時に飼料は麻袋に入れられたことから、港周辺には麻袋工場も集積していた。
 しかしこれらも高度成長終焉や世界の飼料物流の変化に対応できず、配合会社の撤退や麻袋会社の撤退、さらにはトラック便普及により鉄道運搬も機能を失っていく。

フェリー
 昭和後期になると時代は流通革新を迎え、最初は埠頭に着岸した貨物船からリフトで荷の上げ下ろしをする「リフトオンリフトオフ」だったが、「ロールオンロールオフ」という積んだ状態のまま移動する形式に変化し、これがさらに進化してコンテナになっていく。この「ロールオンロールオフ」という変化に対応して大型のフェリーが就航した(昭和45)。これは北海道初の長距離フェリーで、就航当時の貨物取扱量20万トンが2年後の昭和47年には100万トン、平成元年には1,836万トン、平成3年には2,000万トンを越え、平成7年には2,256万トンというピークを実現した。
 このフェリーは小樽港物流の救世主にはなったが、流通革新はコンテナが主流となり、平坦地の多い苫小牧に主役の座が奪われていく。

※掲載写真はすべて『写真集 小樽築港100年のあゆみ』より