小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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帰化人(55) 小樽こだわりのライフスタイル

それぞれの過去が生きている街
堀田 直樹 氏
えびす屋小樽 店長
〒047-0032 小樽市色内2-8-7 
TEL 0134-27-7771 FAX 0134-27-7776
URL http://www.ebisuya.com/
E-mail otaru@ebisuya.com



帰化経緯
 昭和50年大阪生まれの堀田氏は、平成5年に堺西高等学校を卒業後、建設会社に就職したが思い直し、翌年京都の立命館大学経済学部の夜間に通う。昼の仕事を探す中で平成7年人力車のえびす屋でアルバイトをするようになるが、仕事がおもしろく大学を中退し、平成12年にえびす屋正社員に。嵐山店から東山店に移動になり、人間関係から平成18年退社。しかし平成19年には再入社し、またアルバイト待遇から再出発、同年正社員となる。
 このえびす屋稼業時代に、東京や小樽にもヘルプとしてそれぞれ半年赴任する経験を持った。そして本年(平成26)小樽の店長欠員に伴い、単身小樽店長として2月に赴任。京都には22歳のときに結婚した妻と子供3人が暮らしている。

小樽観
「あらためて長期間住んで仕事をするという認識で、小樽に来てつくづく感じるのは、車のスピードが速いということですね。そもそも京都は道が狭く車が多いのに比べ、北海道は道が広く車が少ないから必然的に速いという比較と、僕が人力車の仕事をしているという仕事感からそう思うのだと思います。そこで不思議なのは、車の速度は遅いけど関西人はセッカチで、逆に車の速度は速いけど北海道人はノンビリしているということです。この反比例はどこからくるのでしょうか。これは多分長い年月にすり込まれた歴史に原因があるのではと思っています。小樽赴任中に解明できればと思っています。また京都と小樽の初対面の対応の仕方は大きく違いますね。京都人の多くは実に洗練されています。日本一の観光地であり国際的にも指折りの京都では、実に歓迎しているかのような振る舞いをされますが、小樽では多くの人々がブッキラボウです。ところが小樽の人々と話をしていると大きな声で笑う場面に遭遇します。つまり最初は不器用なので照れてブッキラボウなのですが、打ち解けると心から笑う素朴な人たちが多いというのが、僕の解釈です」

教育の有無
 京都は100年以上も観光地として全国から人々を呼んできた。だから基幹産業である観光についての受け入れ体勢は、行政や観光団体はもちろんだが、家庭の隅々に至るまで教育が行き届いている。
 京都人と小樽人の人格は別にして、この観光客受け入れの教育「ホスピタリティ」は学ぶ必要がある。既に小樽では「おたる案内人」制度も定着し、その中には「ホスピタリティ」の講座も含まれている。しかし平成25年4月15日現在有資格者数合計641人のうち、実際に観光客と交流している人々は半分以下である。また教育は小言のように何度も何度も繰り返しすり込まなければ浸透もしない。
 そろそろ小樽も、行政・関係団体・学校、そして家庭においても基幹産業教育の体系を考える時期にきているのではないか。

仕事と小樽観
「運河周辺で人力車の仕事をしていると、五感で感じることがあります。北海製罐は運河周辺を代表する工場群ですが、近くに行くと工場の匂いが漂ってきます。僕にとってその匂いは実に心地いいのです。また午砲の音も新鮮です。今では時間を知るのに時計や携帯があるから不自由しないのに、それらが普及していない時代の習慣が未だに続けられていることに感激します。また僕らの仕事はエンジンなどの動力で運ぶのではなく人力でお客様を運びます。つまりお客様と車夫の間の距離には空気しかありません。お客様に触れるということもないのに、妙に人のぬくもりを感じてくるのです」
 まさに堀田氏にとって人力車稼業は天職ともいえる。
 運河も既に本来の運河ではなく、古い建物も本来の利用がされていない。そう思えば人力車もその使命はとうの昔に幕を閉じている。しかし、小樽では運河も古い建物も人力車も息を吹き返し再利用されている。