界隈
編集人 石井 伸和
意味が示す可能性
俗に、「水天宮界隈」「堺町界隈」「港界隈」などと我々は「界隈」という言葉を自然に使う。
「界隈」とは「あたり、近所、一帯」という曖昧な意味だ。これに対して比較語として「地区」をとりあげてみる。「地区」は、ここからここまでと区画が明確であるのに対し、「界隈」は明確ではない。だから曖昧性こそが界隈の特性といえる。さらにこの曖昧性から、これまでの既成概念にとらわれない、新たな概念が抽出され、表現しようという気概に発展することも可能だ。
既成は維持・充実といった管理業務に重点が置かれるが、曖昧は触発・喚起といった自主性に依拠する。たとえば町内会には町内会長や役員などの執行部がおり、彼らは町内の幸せ度合いの維持・充実に智恵を絞るが、曖昧な界隈には、そもそも執行部などなく、人気の店に共鳴したり真似たり、あるいはコバンザメを呼び寄せ、自発性によって界隈特性を身につけていく。
思うに、社会の変化は曖昧性が既成を変えていく現象かもしれない。とすれば曖昧性のエネルギーこそが社会変革の源といえる。
界隈分析
●界隈人
たとえば「人」の側面で眺めると、「地区住民」にならい界隈を構成する人々を「界隈住民」いや「界隈人」としよう。それは界隈に住む人・来る人・仕事する人・遊ぶ人などを指し、ある目的があって界隈にいるすべての人々をいうことになる。したがって「はえぬき」と「よそもの」の区別は不要になり、誰であれ、人の存在は界隈性を高める効果につながっていく。
界隈人とは界隈を構成する人々全員をいうから、たとえば観光都市宣言をしている小樽の特長、つまり「交流人口」を奨励し、観光を支援する概念にさえなる。したがって「地区住民」との大きな違いは界隈に関係するすべての人々という考え方にある。
●界隈場
つぎに「場」の側面で眺めると、「地区」は固定的だが「界隈」は流動的だ。この流動は既述の「界隈人」を収容すると同時に、「界隈人」の意図の表れといえる。そして人々が増えれば界隈は広がり、人々が減れば界隈は狭まる。あるいは「界隈人」の個性が「場」の構図やデザインを形成していく。人々が集う価値の多様性を認めるからこそ流動的だ。たとえば当初はA店と向こう三軒両隣であったが、今では街区の規模に界隈は拡大し、界隈のイメージが姿を現していく。
つまり「界隈場」は、「店」「広場」「工房」「住居」あるいは「道」「風景」などが観光価値もさることながら、ライフスタイルやビジネスモデルやエンジョイスタイルなど様々な存在価値を収容し領域を変幻自在にする。
●界隈性
最後に「性格」の側面で眺めると、「地区」では住宅街・ビジネス街・銀行街などという性格が存在するが、「界隈」では、同じような性格があっても、そこには常に「新たな模索性」を待つ柔軟性がある。たとえば住宅街にカフェが生まれ、常連客でコミュニティが組織され、なんらかの発表を外に向けてする場合、飲食・交流・発表・浸透・街並み・観光といった体系そのものの移植が考えられる。
つまり「界隈性」は時代に相応しい場の体系づくりへの気概そのものといえる。
界隈の誘導
小樽全体の特長は小樽を構成する諸界隈の総和でもある。分母である小樽全体の特長錬磨と同時に、分子である諸界隈の特長を発掘・育成することによって、これまでにない新たなまちづくり手法が見いだせる。小樽全体で刺激しても動かなかったことが、界隈を刺激することによって動き出すという現象も生まれるからだ。
かつて小樽にはポートフェスティバルやサマーフェスティバルという全体的なまちづくりイベントが存在し、一方でなんたるこっちゃ祭りや手宮イカ電祭りという界隈イベントが併存していた。今日では祝津たなげ会や朝里のまちづくりの会、あるいは堺町商店街などの界隈コミュニティが存在している。このような界隈性追求の実績と事実があることを我々は誇りにすると同時に、今一度界隈という概念を磨き、新たなまちづくり運動を創造していきたい。