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まちづくり運動から学ぶ(39)

報道拾い読み〜末岡スクラップ〜(2)
石井 伸和


昭和58年10月15日小樽市発行のビラ
昭和58年10月15日小樽市発行のビラ

情報戦そして攻防
【昭和58年10月15日 北海道新聞】
 小樽市は15日、市内約六万世帯の全家庭に「道道臨港線代替ルートは不可能、小樽運河百人委員会アピールに答える」と題する「広報おたる号外」を一斉配布する。「百人委員会のアピールは現実を無視した空論に過ぎない」と極めて強い調子で反論。運河問題をめぐって「チラシ合戦」が過熱といった事態だ。

【昭和58年10月15日 読売新聞】
 六車線の道道小樽臨港線を建設するため、小樽運河の幅半分を埋め立てる問題について、小樽青年会議所(荒田一正理事長)がこのほど、会員のアンケート調査を実施した。その結果、回答者の79%が「道路は別ルートとして、運河を残したい」と答えた。また「道路は必要であるが、六車線は不要である」との回答が62%あった。

【昭和58年10月18日 読売新聞】
公開討論会を提案 百人委、市の広報号外に抗議
「小樽運河百人委員会」の代表が17日、小樽市役所を訪れ、市が市内全世帯に配布した広報おたる号外について、税金のムダ遣いだとして抗議するとともに、公開討論会を開くよう申し入れた。(中略)同代表団は、運河地区の交通量は市が道路計画を作成した当時に予測したものより減っているなど情勢の変化と、現在集めている埋め立て反対署名をよりどころに、計画の見直しを迫った。これに対し林正大助役は「運河問題はすべて解決済みで、道議会でも知事が計画通り、と答弁している」として、討論会を開く必要はない意向を示し「市長には伝える」と答えた。

【昭和58年10月19日 北海道新聞】
 小樽青年会議所は小樽運河全面保存の方針を打ち出し、18日までに道、小樽商工会議所、小樽観光協会の三者に「小樽運河周辺地区再開発に関する要望書」を提出、17日は志村市長と会談し、運河埋立の再考を求めた。30日は市民を巻き込んだ公開シンポジウムを開催することにしており、運河全面保存に向け運動が活発化している。

【昭和58年10月20日 読売新聞】
 小樽土木現業所は19日、小樽運河ヘドロ処理の継続工事について競争入札を実施、落札した業者と工事契約を締結した。これで水底固める同工事は、来年3月まで中断することなく続けられる。さらに、本格工事となるクイ打ち工事の入札日程も決まったため、道道臨港線の建設計画は、広がる運河保存運動をよそに、既定路線を突っ走りそうだ。

【昭和58年10月23日 読売新聞】
 小樽運河の保存を目ざし、大規模な運河埋め立てを伴う道道臨港線計画に対抗する独自の代替案を検討していた学者、専門化グループ(遠藤明久道工業大教授・足達富士夫北大教授ら)が、22日までに@問題の区間は片側三車線の一方通行とするA札幌方面への路線は市道港線(海側)を、余市方面への路線は運河沿いの道道(山側)を拡幅して利用する を骨子とする案をまとめ、道、小樽市幹部に口頭で伝えた。

【昭和58年10月25日 北海道新聞】
 市道港線の四車線拡幅利用案、港湾再開発のひとつとしての臨港道路活用案、港線と現二車線の道道臨港線の各三車線拡幅案。小樽運河を埋めないで済む現計画(埋め立て 道道臨港線建設)の代替ルート構想が最近、市民団体や学習グループなどから相次いで小樽市に寄せられている。しかし志村市長は24日、これら一連のアイディアに対し、「計画見直しを伴う検討はしない」と一しゅう。来月上旬から予定される運河水面へのクイ打ち工事も含め、断固既定路線を突っ走る態度を強調した。

【昭和58年10月26日 北海道新聞】
市民の57%保存派 青年会議所アンケート結果 再考に関心、77%
【昭和58年10月27日 読売新聞】
「クイ打ち」共同企業体が落札 市に続き道も「見直し」押し切る 横路道政への反発必至

【昭和58年11月11日 朝日新聞夕刊】
 小樽運河埋立のためのクイ打ち工事を12日に控え、運河保存運動に取り組んでいる市民団体「小樽運河百人委員会」は11日午前、これまでに集めた9万5千人を超える署名を携えて小樽市役所を訪れ、林助役と島野市議会議長に工事の中止を要請した。同委は午後、道庁を訪れ同じ申し入れをする。

【昭和58年11月12日 朝日新聞】
「工事やめて」絶叫 反対派市民 抗議集会・車パレード

【昭和58年11月12日 毎日新聞夕刊】
小樽運河クイ打ち始まる 論争10年、商都の象徴 埋め立てへ第一歩 市民抗議、騒然とした中で
その瞬間、峯山さん涙 次の目標に向かい燃える


【昭和59年1月30日 朝日新聞】
 9万8千人、小樽市民の半数を超す署名をもとに、志村和雄小樽市長リコール運動まで起きている小樽運河について、横路知事は29日、「保存、埋立のどちらにせよ、地元小樽市民の合意を得る必要がある」と語り、埋立の再検討を含め、小樽市当局と計画の見直しに入る意向を固めた。水野建設省から、小樽運河埋立について「地元のコンセンサスを得るよう」求められていたのを受けたものだが、このままでは市長リコール運動が、6月から始まる小樽博にかち合うほか、小樽市の混乱を「市長だけにドロをかぶせるわけにはいかない」ことなどから、知事としての解決の道を探ることになった。

【昭和59年1月31日 読売新聞夕刊】
知事「運河見直し」示唆 道路計画、変更の余地「私もドロをかぶり努力」

最終局面の構図
 このような攻防の中で、運河問題の最終局面は、小樽運河100人委員会の一部が暴走してリコール活動を実施したことによる混乱、小樽市では横路知事や水野建設省の意向による混乱、会議所では首脳部と臨港線早期期成会派による混乱が巻き起こる。いわば保存派と埋立派で対立する組織がそれぞれ内部混乱を引き起こす格好となった。そして横路知事が五者会談を設置して話し合いの場を持つという方向をたどり、この五者会談という装置が最高意思決定機関の様相を呈していく。
 また、昭和59年3月26日、水野建設相は小樽運河埋立工事を小樽博の終了する8月末まで凍結を横道知事と協議し一致した。これは冷却期間を置き地元合意を待つ姿勢の表れといわれている。この政治的決断によって道議会は混乱し、工事発注元の小樽土現も困惑した。昭和59年春、運河問題は市~道~国という政治決定回路が拡大し、全国区の運河報道がたけなわとなっていく。
 小樽の市民グループも飽くことなき運動を展開し、3月20日「港湾都市を再生する~小樽運河の意味するもの」をテーマに、小樽のまちづくりを考える会(佐々木興次郎代表)が主催した講演と研究報告会が開催され、講師の大阪市立大の宮本憲一教授が「保存はまだ可能」と訴え、保存運動はまた盛り上がっていく。
 したがって運河問題最終局面の構図はまさに小樽を二分した。さらに道議会や国会にも波紋を広げ、一地方都市の問題ではなく、これまでの都市計画のありかたへの問題提起として、日本全体の問題として共鳴音が響いていく。これは日本人全体が高度経済成長を達した喜びの影で、公害発生や環境破壊、さらには金太郎飴式の都市整備に対する反省の反映といえるだろう。
 日本では昭和30年から48年までに高度経済成長が成功したが、その頃から金権政治が大きな社会問題となってきた。「秩序が整ったあとは金次第」という現象だ。混沌から秩序を求める時には、幸福のありかた、人間のありかた、国のありかた、人生のありかた、社会のありかたなどの形而上的問題意識に対して多岐に亘って人々の智恵が湧出するが、いったん秩序が形成されると、「どうにでもなる価値としての金」という形而下的蓄積のみが全ての問題の処理方法に凝縮される。
 そういう意味では、小樽運河問題は金のことより、歴史・文化・産業・建築・都市計画・政治など多岐に亘った議論が展開されてきた。小樽はまさに十数年に亘ってこの産みの苦しみという長いトンネルを抜けようとしていた。そして全国に波紋を広げた。