小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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アーティスト(16)

大人げない大人への挑発
HIPHOP
BIGZAM(ビグザム)氏


BIGZAM ロスアンジェルスにて
BIGZAM ロスアンジェルスにて

ベイフェスタ小樽2014フライヤー
ベイフェスタ小樽2014フライヤー

会わせたい男がいる
 平成26年5月26日衝撃の出会いがあった。まちづくり運動の仲間 佐藤孝氏からの紹介で、花園浮世通り「もっきり荘」に足を運んだ。佐藤氏「こちらがBIGZAMです」。背が高く精悍な顔つき、BIGZAMは優しく微笑んだ。
 現在、東京とロスアンジェルスを行き来する日程の中で、本年2014年9月13日、小樽市第三埠頭多目的広場で「BAY FESTA OTARU」開催の準備で帰樽したという。

こんな道
 1978年小樽生まれ。北照高校時代、アメリカと日本のハーフの友人宅でNBA(北米のプロバスケットボールリーグ)の映像を見ていたとき、胸に熱く響くBGMを聴いた。RAPだった。1996年東京へ上京し、1999年からBIGZAMという名で活動、渋谷のHIPHOP好きの溜まり場で出会った7人とNITRO MICROPHONE UNDERGROUND(通称NITRO)を結成、全8人中7人が東京出身、BIGZAMのみ小樽。Universal Recordsからメジャーデビュー。NITROは33万枚を売り上げる空前の記録をつくった。

こんな勇気
 23歳で単身HIPHOPの本場アメリカへ。ロサンゼルスのHouse ofBluse(ドリカム・久保田利伸などが歌ったコンサートホール)で黒人RAPPERの前座を日本語RAPで歌った。どの客も日本語RAPを聴いてスタンディングオベーションを寄せてくれた。以後23歳でロサンゼルスのラジオ番組Power 106で自身の曲が流れる。日本へ帰国後もソロ活動や日本のColumbia RecordsからもNITROの2ndアルバムもリリース、またNITROとして世界の大手スポーツメーカー ナイキと契約し様々な活動を経て今もなお、BIGZAMとして活躍している。

小樽にこんな
 小樽でここ数年で聞き取り調査をした。100人の20代の若者に「音楽好き?」と聞くと全員「はい好きです」、「どんな音楽が好き?」に対しこれまた全員「なんでも好きです」、「好きな音楽のジャンルとかミュージシャンは?」に対し全員「…」、「じゃ何か心に響くものはほかにある?」では「…」。驚くことに100人全員同じなのだ。つまり現代若者気質では「音楽はBGM」でしかなくなった。かつての若者が音楽にのめりこんだほどの熱さはどこにもない。たかだか30年ほど前、若者の遊びやコミュニティの大多数は音楽を媒介としていた。なんという隔世の感か。そんな疲れた心境でBIGZAMに会った。しかも小樽出身だという。
「あんな道」を選び「あんな勇気」で本場の世界に身を投じた。なんと清々しい真っ直ぐな若者かと思う。しかし小樽はもとより北海道ですらHIPHOPはメジャーに至らない。なぜなら若者の分母が音楽をBGMとしか感じていないからだ。結果的に音楽好きの絶対数の多い東京やロスでしか、音楽は洗練されていかない。
 でも音楽は理屈の左脳で思うものではなく、理由不要の右脳で感じるもののはず。とすれば大人口の東京でなくても少子化の小樽で「そっりゃHIPHOPでしょ」「ってかReggaeかな」「俺やっぱRock」「いやBluseかJazzだよ」と言う若者がいても不思議はない。

そんな男が
 そんな男BIGZAMが今年、こんな小樽で大々的な野外コンサートを決行する。HIPHOPは歌詞もリズムもダンスもファッションも極めて挑戦的・挑発的だ。若者気質は大人社会の反映か犠牲かのいずれかだ。事実、時代はいつまでたっても大人げない大人がみえみえの大人っぽさで誤魔化しているから、HIPHOPは挑戦し挑発している。HIPHOPが社会の反映なら社会の犠牲となっている小樽の若者にとってコンサートは救世主となるかもしれない。


 https://www.facebook.com/bigzam.nitro
 http://www.bayfestaotaru.com/