小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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地域経済(1) 経済を読む

地域経済とグローバル化
小樽商科大学ビジネス創造センター 
センター長・教授 海老名 誠


問題提起
 地域経済が疲弊しているといわれて久しい。日本は昔から世界的にも経済格差の少ない国として知られてきました。わが国は民主主義・市場経済の国ですが、米国やアジアの発展途上国に比べて、中間所得層が多く貧富の差は少ない(大金持ちも少ないが、貧困にあえぐ者も少ない)国でした。しかし、最近は格差が開いて来ました。この格差は個人レベルを超えて、大企業と中小企業の格差、地域間格差などに広がり社会問題化しています。
 現在、北海道の経済状況は日本の都道府県の中で最も悪い。その理由は、近年の公共事業削減などにより土木・建築業界を中心に受注が落ち込み、一方で新産業が生まれず労働者の移動もスムーズに行われないからです。昨年9月の北海道の有効求人倍率(求職者数と募集者数の倍率)は0・48と全国平均の半分でした。これは、仕事に就きたい人の半分も仕事に就けないという現状を表しています。小樽市の人口は減り続けているし、他方少子高齢化は急速に進んでいます。この様な状況にあって、我々はどうすれば良いのでしょうか。

答え
 その答えの一つは「小樽のグローバル化」でしょう。小樽を海外に向けて「開国」することです。幸い、小樽は観光都市として国際的に知られています。自分たちの町で生まれた人材が減り続けるのならば、アジアを中心とする海外と連携すれば良い。そうすれば、新しい仕事が生まれます。アジアから小樽を見ると、ここは「宝の山」です。小樽は国際観光都市としての資源に恵まれ、豊富な食材が溢れています。陸上には豊かな地味に恵まれた良質な農産品があり、日本海には新鮮な魚介類があります。そして天然の温泉・豊かな自然・清涼な空気・美味しい水・パウダースノウ、亜熱帯に属するアジアから見れば、小樽の四季は夢のようです。一斉に花開く春、梅雨のない乾いた夏、紅葉の秋、そして雪と戯れる冬。今、アジアでは北海道や小樽の食品に大きな需要が出ています。中国をはじめとする周辺諸国での食品に安全上の問題が出る中で、北海道の食品は「安心・安全・高品質」の評価を定着させています。アジアは貧富の差が大きい地域ですから、富裕層になると日本人より金持ちが多く、彼らは安全な北海道の食品を安定的に輸入したいと考えています。我々の販売先としてアジアは現実のターゲットになりつつあるのです。

足元の確認
 さて小樽市の統計によれば、平成19年度外国人観光客の宿泊延べ人数は44,526人。そのうちアジアからの観光客は39,505人で89%。現在、小樽に宿泊する外国人の9割はアジア人です。その内訳は、香港15,546人(39%)、韓国10,858人(27%)、台湾9,885人(25%)、中国1,196人(3%)となっています。2007年のアジアからの宿泊客は、小樽の全宿泊客の6%にまで増えています。これらの統計や現状は、小樽観光にとって既に外国人観光客が重要なポジションを持つようになってきたことを示しています。このように小樽観光にもグローバル化時代の兆候が確実に出始めているのです。

アジアの時代
 アジアでは貧困の時代が長く続きました。アジアが急速に経済成長を実現し始めたのは1970年代です。これはちょうど、日本の高度成長期にあたります。当時の日本は、インフレが進み製造業の人件費がかさみ、低廉な人件費を求めてアジアに拠点を展開し始めていました。経済が発展するには「人材」「資本」「技術」が必要です。アジアには労働力(人材)が豊富にありましたが、資本や技術はありませんでした。そこで、日本から資本・技術を持ち込み、アジア各国での人材を使い、生産活動が活発化しました。当時アジア各国では競うように「外資導入政策」が発表され、日本をはじめとする先進諸国からの投資・工場進出を誘致しました。
 アジアの経済発展は日本をはじめ外国からの投資を受けて実現されたのです。この例を見ても、外国との協同(開国)が経済発展に大切であることが分かります。

中国の発展
 中国は1979年末に「社会主義市場経済」という制度を導入して、これまで経済を発展させてきました。政治体制は社会主義で、経済原理は市場経済という、考えれば考えるほど不可解な制度を現在も維持しています。最初に「経済特別区」を定め、西側諸国に対して小窓を開けました。西側諸国との貿易を行うことでどのような変化が中国に起きるかを観察したのです。それが中国で最初に行われた実験です。この実験の成功に意を強くした中国は、今も時間をかけて全国に開放政策を広めようとしています。筆者は1985年に某都市銀行のシンセン(最初の経済特別区)駐在員初代事務所長を務めた経験があります。その時の経験も含めて、中国やアジアの経済発展や課題を考え、小樽の発展について考えていきます。