小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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コラム 小樽人の「人のよさ」



北海道という枠組み
■移民
 北海道の人は総じて人がイイといわれます。本州では長い年月をかけて継続されてきた文化がありますが、北海道は明治時代以降に本州から渡ってきた人々と先住のアイヌの人々によって形成されてきました。
 これは明治2年から昭和元年までの間に本州からの移民記録が227万人いることからもわかります。
 榎本武揚や坂本龍馬などが北海道の大地に積極的な夢を馳せていた形跡はありますが、移民の多くは仕方なく本州の故郷をあとにしてきました。一年の半分が雪に覆われる厳寒の北海道での生活は並大抵の苦労ではなかったはずです。まして水道も道路もなく、衣食住のすべてが最初からというところに、好きこのんで渡道しようとは思いません。
 しかし私たち北海道民の多くの先祖はこうして移住してきました。


■開拓
 開拓は自然との戦いです。厳しい自然を前に、人々は協力しなければなりません。そうしなければ自然に負けてしまい生きていけないので、必然的に協力意識が育まれ、人々が信じ合うことで厳しい自然と向き合ってきました。それゆえ、信じ込みやすさと世話やきは北海道民の特徴となり、それが「人がイイ」ということに映るのでしょう。
 もちろん本州各地にもこういう時代はありましたが、すでにその地における自然との融和は落ち着いているので、北海道の比ではありません。

小樽という枠組み
■小樽商人
 小樽というまちは、その歴史を語る際に必ずいわれるように、北海道開拓の玄関口であったことから発展を遂げたまちです。いわばビジネスチャンスの吹きだまりであったことから、本州出身の多くの商人が積極的に乗り込んできました。消極的に移住せざるを得なかった北海道では、異色のまちの一つであったともいえます。


■物流
 消極・積極の違いはあるにせよ、物流で栄えた小樽でも、人々が協力し合わなければ発展できないという共通点もあります。右から左にモノが流れ運ばれる状況下で求められる効率は、智恵を出し合いながら協力体制を強固にしてはじめて達成されるからです。達成されたからこそ大発展を遂げました。もちろん、商人たちは皆それなりの主義主張をしっかりもっていたので、企業間の競争や政争も盛んでしたが、だからこそ、各商人の一つ屋根の下での協力体制はより強固にならざるをえなかったといえます。

小樽に目をこらせば
■つきあい社会
 「イイ人」は人の和を尊しとします。たとえば何事も成果より維持に重点が置かれ、そうしながら成果につなげるという、どちらかというと保守的です。小樽は、かつては革新的であったまちですが、まちにもバイオリズムがあるように、このような保守性が続いています。小樽の規模は小さな都市といえますが、つきあい社会の度合いが強いまちです。
 たとえば小樽には神社系例大祭(小樽市HPでは年間15回)も多くありますが、それに加えて様々なイベントが継続・単発を問わず、年がら年中あり、そのたびに協賛金名目でいただいたり支払ったりした経験をお持ちの方は相当いるはずです。逆にこういうつきあい社会が小樽のイベントの基盤となって、新たな志を応援する精神的風土を育んでいるといっても過言ではありません。


■成果への最大条件
 つきあい度合いの強さは、小樽が小樽以外の地域などと有機的関係を保っている場合に機能を発揮します。たとえば、小樽の中堅どころの会社などがしっかり市外にも販売し、また市外から訪れた観光客にしっかり小樽でお金を使ってもらう魅力が維持されているような場合です。
 今のような先細りの時代こそ、逆に「どうすれば小樽の維持発展ができるか?」というような議論をきちんとして、小樽内部で連携関係をしっかりコーディネートしていくことが望まれています。小樽のつきあい度合いの強さは、連繋に向かえば、最も成果の上がりやすいところに位置していると思うのです。