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食文化(4) 味わいの話

サケの食文化
大昔からのサケ文化



余市川上流のサケと捕獲場
余市川上流のサケと捕獲場

サケとは?
 サケは北海道を象徴する魚のひとつで、サケ目サケ科サケ属のシロザケのことをいいます。北海道では石狩や道東・日高などが有名ですが、東北地方でもサケは重要な漁業資源になっています。
 自然孵化・人工孵化した稚魚は、川を下り海へ向かい、遠くアラスカ湾やベーリング海まで回遊し、3年から5年で産卵するために再び生まれた川に戻ってきます。サケが自分の生まれた川を覚えているのは、嗅覚によるといわれています。
 川に入ったサケはエサを獲らないので、次第に体力を使い果たし、産卵後に死んでいきます。これを「ホッチャレ」といい、栄養分が少なく味も落ちる(卵=イクラもない)ので、サケの捕獲は河口近くの海で行われます。
 サケの遡上する川としては、千歳川(インディアン水車)や十勝川(千代田堰堤)、薫別川や暑寒別川が有名ですが、後志管内でも、神恵内村の古宇川、余市町の余市川などでは、道路からサケの遡上を見ることができます。

北海道とサケ
 東日本では、発掘調査で縄文時代からサケを捕って食べていたことがわかっており、このため東日本は食糧事情がよかったので縄文文化が発達したという説もあります。
 アイヌ民族はサケを「カムイチェップ=神の魚」と呼び、川に遡上してくるサケは、厳しい冬を乗り越える大切な食糧となっていました。サケは戸外で乾燥させた後、炉の上にある棚で燻製にされました。アイヌ民族は主に産卵後のホッチャレを捕っていたようですが、乾燥させるには脂分が少ないホッチャレの方が便利でもありました。
 江戸時代にはサケ漁は石狩や道東で大規模に行われ、蝦夷地を代表する産物になっていました。明治時代になると、資源保護のため川でのサケ捕獲が禁じられるようになりますが、河川改修やダム建設などで環境が大きく変わるにつれて、自然産卵による孵化は望めなくなり、人工孵化が主流になりました。札幌の豊平川では、1978(昭和53)年からの「カムバックサーモン運動」が実を結び、サケが戻ってきたことはよく知られています。
 北洋サケ・マス漁業は明治時代から行われ、大正時代には最盛期を迎え、北海製罐倉庫鰍ェ設立されたのも、カニを含めた北洋漁業の発展によることが大きく、小樽でも重要な産業のひとつでした。北洋漁業は太平洋戦争で中断したものの、戦後復活、昭和30年代には小樽港からも母船式船団が出発していました。現在では、200海里規制などの漁業規制により採算が合わなくなり、母船式サケ・マス漁業は行われなくなっていますが、釧路や根室を基地とした中型船による流し網漁が続けられています。

サケと料理
サケは、肥料としての需要が高かったニシンと違って、最初から食用だったため、料理の種類が豊富です。ただ焼くだけでも充分なため、わざわざ「サケのおいしい食べ方」などと啓蒙する必要もなく、一般にはあまり歓迎されなかったニシンと対照的でした。
 サケは生で刺身・ルイベ、スジコを加工したイクラ醤油漬け、そのほか飯寿司にも使われます。保存のきく新巻や燻製にも加工され、燻製はトバとしても親しまれています。
 代表的な料理には石狩鍋・三平汁・ちゃんちゃん焼きなどがあり、サケの塩焼きは弁当のおかずやおにぎりの具として人気があり、旅館の朝食の定番にもなっています。

サケの将来
近年では海洋環境の変化によるものか、回帰数が減ってきており、とくに去年は大不漁となり、今年も去年を上回る不漁が懸念されています。行きすぎた、感情的とも思える国際的な保護活動や資源争奪戦など、漁業資源をめぐる動きは厳しさを増す一方です。自国での資源供給ができる大型魚としても、サケの存在はますます貴重なものとなっていくに違いありません。



<鮭の文化誌>
<漁業生物図鑑 北のさかなたち>
<HP サーモンミュージアム>