小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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小樽巷文化考 

独自性



 オリジナルな発明をすることは、その発想ばかりでなく、実用化へ向けてたいへんな苦心が必要なことはいうまでもありません。そこで、ほかで開発されたものを真似するということが盛んに行われています。ある商品がヒットすると、たちどころに類似商品が出回るのは、大は自動車から、小は菓子まで数え切れません。
 「○○の品格」という本が売れると、二匹目のドジョウを狙った続編が出るのはまだわかりますが、便乗してなんでもかんでも「品格」を付した本の多いこと! これだけで、内容を読むまでもなく、その本に「品格」がないのが一目瞭然といったら言い過ぎでしょうか。
 インタビューで感想を聞かれると「感動した」、何を見ても「すごい(子供の場合はスゲー)」。取材される人も、迎合する意志はないにしても、親切心から相手が期待しているような答えをしてあげるということもあるでしょう。第一、わざわざ足を運んで来ている人(つまりその催しなどに興味がある人)が、よほどのことがないかぎり、「つまらない」と答えるわけはないでしょう。たとえそう答えたとしても、まず採用されないはず。
 スポーツ選手は「自分(たち)の○○(競技種目=野球・相撲など)をする。頑張ります」、最後には「応援よろしくお願いします」という人が多い。意地悪な見方をすれば、スポーツ選手や芸能人などを取材する側は、彼らが何か変なこと(要するに失言)をいわないかと期待しているのだから、当たり障りのない、他人と同じことをいっていれば安心だということもあるのでしょう。
 こういう言葉をなるべく使わないようにするだけでも、ずいぶん表現が豊かになって面白くなると思いますが、欧米と違って、人前で話す訓練をほとんどしない日本の国語教育の問題なのかもしれません。
 こうしたことに最も罪があると思われるのは、テレビでしょう。テレビは全国津々浦々方言を駆逐して共通語化するのに大いに力があったし、今では、単語にアクセントをつけずに発音するのがはやりです(最近のアナウンサーは「放置」と「報知」の区別もつけない、もしくはつけられない)。こういうことは真似しようと意識せずともすぐに伝染してしまうのもやっかいです。
さて、昔から「小京都」というところが各地にあります。金沢や飛騨の高山などが代表格ですが、もっぱら、誇るべき文化や歴史や伝統がある、落ち着いているなどの褒め言葉です。「小京都」と聞いて、京都の代用品やニセモノを思い浮かべる人はいないでしょう。
 かつては、日本中が東京に憧れ、商店街に「○○銀座」(関西では京都の京極からとった「○○京極」)が出現しましたが、これも、銀座や京極を真似ようというよりは、その街一番の繁華街を表すのに適当だったからにすぎず、戦前は大らかだったのだなあと思います。
 北海道では、札幌が「リトル東京」といわれていた時期がありましたが、最近は聞かれなくなりました。すでに「北海道の東京」になりきってしまったからだといわれますが、たしかに札幌市街の変貌ぶりはすさまじい。「リトル東京」には別に悪い意味はなかったと思いますが、今聞くと、あまりよい言葉とも思えません。
 小樽にはそういうことはないようで、「小樽銀座」はありません(花園銀座街=花銀はあるが)。花園・東山・嵐山という京都にあやかった名はありますが、繁華街は1931(昭和6)年公募で選ばれて命名された「都通り」です。
 小樽の別名としては、「港湾都市」「観光都市」(悪口だと「斜陽都市」か)といった一般的なもの以外、特に思い浮かびません。一般的に小樽といえば、運河に代表される歴史的景観と寿司に代表されるおいしい食べ物といったイメージでしょうか。そうした固定したイメージがよいものであるのは実に恵まれています。
 そうしたイメージをこれからも壊さないように、また、できればそうしたイメージに縛られている観光客に、運河を見て寿司を食べること以外の魅力も知ってもらえればと思います。
 地域の独自性は他には容易に真似はできません。小樽の人情の暖かさなど一朝一夕にはできないものを大事にしていきたいと思います。