小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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加工品(2) 後志でなにがつくられているの

身欠き鰊
有限会社 三浦水産
代表取締役 三浦 一浩 氏


みがき鰊
みがき鰊
100年のあゆみ
 初代 三浦喜兵衛氏は明治26年、22歳で今の秋田県にかほ市より渡道し、オヒョウ(※カレイ科の大型魚)を原料とした「そぼろ」製造目的で北見地方で水産加工業を営みました。その後、明治32年、祝津で共同事業としてホタテの煮干製造所を運営します。
 明治43年、祝津信用購買販売組合の鮮魚部開設により附属仲買人となり、委託販売事業を行うため組織から独立し、この年、三浦水産は鮮魚商として創業しました。
 昭和4年、鮮魚商から加工業へ転換、塩数の子の製造を始めました。小樽での塩数の子の製造は明治30年代からで、国内では最も早い記録と言われています。昭和に入り、小樽特産の化粧樽詰塩数の子は贈答品の花形として一世を風靡し、その製造業者も20となり生産量も増えていきました。
 昭和11年、二代目 淳次郎氏の経営になり、身欠き鰊や棒ダラの加工も手掛けるようになります。その後、昭和16年から25年までは「小女子」の佃煮加工、25年からは戦時中、中断していたタラコや棒ダラの加工を再開し、年々製品も高く評価されるようになっていきました。小樽産のタラコは昭和45年、出荷量が全道一となるほど高く評価されました。
 昭和55年、会社を法人化。昭和61年には三代目 喜一氏が社長に就任してからは道内産にこだわったタラコを主力製品とし順調に業績を伸ばしていきました。
 輸入物のタラコを扱う加工会社が多い中、三浦水産は北海道産にこだわり加工しています。このように、時代とともに加工品の内容や技術も変化し、水産加工業としての様々なノウハウを積み上げ、現在の四代目につながっています。
 昨年、三浦水産は創業100年を迎えました。

鰊甘露煮
鰊甘露煮
地物の身欠き鰊
 身欠き鰊の製造は道内では後志が主な産地であり、その中でも余市、岩内での生産が多く、小樽では三浦水産以外製造されていないのが現状です。北海道・サハリン系群の鰊そのものが昭和30年以降、近海で獲れなくなったこともあり、アラスカやカナダ産などの輸入鰊に頼らざるを得なくなっています。
 ここ3年ほど、石狩湾で鰊の漁獲が増えてきました。これは主に石狩湾系群と呼ばれる鰊で、平成15年からの地道な放流事業の成果が現れてきているものと考えられます。特に、昨年小樽では500トンを超す水揚げが記録されました。
 地物、道内産にこだわる三浦氏はこの小樽産の鰊で身欠き鰊を昨年製造し、地元で販売しました。

用途による身欠き鰊の違い
 鰊も産地や獲れる時期により味や脂ののりが違います。身欠き鰊に加工する場合も鰊の状態により乾燥の時間も変化するといいます。またすべての身欠き鰊がどんな料理にも合うとは限りません。鰊漬けに入れる場合は脂が多いものより、少ないものが合いますが、甘露煮にする場合は程よく脂があったものが良いとされています。

需要の変化に対応
 北海道では、身欠き鰊といえば春のフキと一緒に煮て食べるか、鰊漬けにするかが一般的でしたが、今では手間のかかる料理となり、作る家庭も減り、それとともに需要が減ってきています。かつて、身欠き鰊は栄養価が高いので、忙しい田植えの時期のまかない料理には欠かせない食材でした。そのため春の4月、5月がよく売れたそうです。
 小樽に鰊が戻ってきたことで、三浦氏は今年も身欠き鰊を製造する予定ですが、これまでと同じ製品では売上げ増が見込めないため、身欠き鰊の他に、料理人との交流から生まれたアイデアを製品開発に生かし、付加価値をつけた鰊製品にしたいと言います。
 三浦氏に一番うまい食べ方は、と聞くと「皮をむしって、味噌をつけてそのまま食べるのが一番!」これぞ、小樽っ子の食べ方です。