小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
bg_top
alwHOMEalw読んでみるalw地域経済(6) 経済を読む

地域経済(6) 経済を読む

発展を続けるアジア経済(3)
小樽商科大学 ビジネス創造センター 
 センター長・教授 海老名 誠



経済危機
 アジアでは経済成長が続き、中国での車の販売台数が世界一になった、ベトナムでの化粧品販売が毎年二桁の伸びを示しているなど、明るい話が聞かれます。しかしアジアも1997年タイで発生した通貨危機が引き金となりアジア全体が不況になりました。タイ・韓国・インドネシアの3カ国が深刻な経済危機に陥り、遂にIMFに助けを求めました。それでもアジアは、経済危機発生から2年で、すべての国の経済成長率をプラスに戻しました。

官民一体
 一方日本では経済不況が長引き、明るい話が少なくなっています。日本は1997年に北海道拓殖銀行と山一證券が破綻しています。北海道には今でもその後遺症が残り、景気回復が遅れています。それではアジアはどうして短期間に深刻な経済危機から立ち直ることが出来たのでしょうか? 
 その理由を調べると、興味深い三つの事実が浮かび上がります。第一は、アジアの多くの国で観察される、有無を言わさぬ非民主的な改革断行があります。日本の改革が遅々として進まない理由の一つは民主主義にあると暴言を吐く専門家もいます。アジアの国では、言わば専制君主的な首長が独裁的に決定をする場合が少なくありません。このような決め方は、日本ではまず絶対に出来ません。しかし、考えて見ると、世の中には「平時」と「有事」があります。「平時」には民主的に物事を決定していくことが勿論望ましいのです。でも国家経済危機のような「有事」には、トップダウンで命令して指揮権を発動することも必要なのかも知れません。
 第二に非民主的な事例ではありませんが、日本では不可能と思える大胆な改革を断行した例もあります。例えば、韓国では経済危機発生後にビッグディールと呼ばれる財閥の解体整理が断行されました。それまで韓国では5大財閥がそれぞれ半導体、自動車、石油化学、鉄道車両などの産業分野に多数の企業を持っていました。それが、財閥ごとに重点産業を決めるよう指導があり、重複企業が整理統合された結果、一社あたりの競争力が高まりました。一方、日本では今でも多くの産業分野に多数のメーカーがひしめき合っており、国内市場規模が飽和状態になっている現在、消耗戦の様相を呈しています。
 第三は、アジアでは当時の国民が危機感を共有したという点です。私は経済危機発生後にアジア主要国を最低3回は訪問し、回復に向けての取り組みを調べました。その時に分かったことは、深刻な危機意識が国民まで共有されているということでした。
 韓国ではOECD加盟国入りを実現した直後にIMFに助けを求める事態になったのです(OECDは、先進国と認められた国だけが加盟できる国際機関で、加盟国は30カ国のみ)。プライドの高い韓国国民は、先進国と認められた直後にIMFから資金援助と指導を受けた事態を憂い、国民を挙げてIMFの指導基準を一刻も早く達成しようとしました。ちょうど、日本で公的資金を注入された企業が、資金返済のために大規模なリストラを断行するのと似た構図です。一部の国民は自分の家の金製品を政府に供出して、国の救済に役立てるよう協力しました。日本でも、第二次世界大戦の末期には個人の家にあった鉄製品を供出し、武器製造に役立てようとしたとの話を聞いたことがありますが、それに近い話です。
 タイでも、IMFの指導を受け、過剰な企業間競争は排除されました。タイ政府の強権的な命令が下され、多くの企業が操業停止に追い込まれました。私の前職の銀行は、バンコック支店は継続営業が認められましたが、タイ現地法人の金融会社は2週間後に営業出来なくなりました。しかし、このような過激な措置に対しても、当時反対デモなどはありませんでした。
 このように、アジア各国では、自国が沈んでしまうと感じた政府と国民が一致協力して自国の建て直しにあたった結果、早期の経済回復が実現出来たのです。
(以下次号)