小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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小樽巷文化考

「斜陽」



「斜陽」といわれて久しい小樽ですが、たしかに人口は最盛期の20万人から現在では14万人を切っています。各種の統計を見ると、人口の減少に加えて高齢化の進展や税収の伸び悩み、入港船舶の減少など明るい材料に乏しいといわざるを得ません。
 小樽には、立派なホールがない、大規模な娯楽施設がない、デパートがなくなったなど、便利さでは札幌にはとても適いません。その札幌でさえ、東京には適わず、各種の巡回展が東京・大阪・名古屋の三大都市圏は当然として、福岡には来るのに、どうして札幌に来ないのかと悔しい思いをすることもあります。

 しかし、小樽には、海があり、坂道があり、何といっても歴史的な遺産があります。一方札幌はその成長が止まらなかったがゆえに、昔を偲ぶことのできる街並みはありません。大地震や戦災も受けなかった街にしては驚くほどの変わりようで、外部的要因がないのにこれほど古い建物がない都市は全国的にみても珍しいのではないでしょうか。

 東京は関東大震災で江戸の名残が消え、さらに戦災で戦前の名残が消えたといわれますが、それでも大手町や霞ヶ関といったオフィス街・官庁街(ここでも少数ながら保存建造物はある)以外では、銀座周辺でさえも、ところどころに戦前の面影が残っています。

 戦前の写真を見ても、小樽に住んでいる人ならば特に歴史に興味のない人でも、今のどこであるか容易に判断できるのに、札幌ではちょっと難しいでしょう。札幌駅前通や大通に戦前から変わらない建物はあるのでしょうか。道庁赤レンガや時計台・旧北海道庁立図書館(現・道立文書館別館)がくらいしか思い当たらず、とても歴史的街並みなどとはいえません。
もちろん、札幌には藻岩山や豊平川などの自然、円山公園・大通公園・中島公園などの大きな公園があって、大都市としてはずいぶん恵まれてはいるのだけれど。

 新しいものは何でもよいとし、古いものは悪いとするということは、かつての日本では見られなかったことで、これは敗戦による軽薄なアメリカ文化の流入の悪影響という人もいますが、こういう傾向は明治維新からはじまっているようです。明治政府は江戸時代の全面否定から出発しました。江戸時代がよい時代だとしたら、それをつくった幕府をどうして潰したのかということになり、自分たちの存立意義が失われてしまうからです。

 パリをはじめとする西欧文化に憧れた反面、江戸好みだった永井荷風は、その著書のなかで、明治政府の西洋文明の節操なき取り入れを繰り返し難じています。日本には風土に根ざした独自のよさがあるのであって、やみくもに西洋文化の模倣をするのはよくないといっています。

 活気がない=悪いではなく、活気がない=静かでよいとならないのか。活気がある=騒々しい=悪いという考えもあり得るでしょう。別に開き直っているわけではなく、「斜陽です」と胸を張っていえるようになるのも悪くない気がします。高齢化が進んでいても、老人がのんびりと暮らしているというのも、理想的な光景ではないでしょうか。
 もっとも、これはあくまでも理想論であって、医療や介護、年金や健康保険、さらには自治体の財政的な問題など厳しい現実がありますが。

 小樽は北海道内の過疎といわれる市町村に比べれば、ずっと恵まれています。観光地として著名だし、新たな方向を見いだせる可能性も、まだまだ残されています。人口にしても、街の機能が失われるまで減っているわけではありません。

 それでも、夕張市のように「斜陽」が行きすぎて、自治体として財政破綻してしまうようなことでは住民はたまりません。こうしたことを防げなかったのは、何も行政だけの責任ではなく、行政の暴走を黙認した政治(議会)、さらにはそうした議員を選んだ住民にも責任があるのは当然です。
 わが小樽でも、こうした事態を招かないように、行政に任せっきりにするのではなく、しっかりとした自立の精神が求められているのではないかと思います。