小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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コラム 歴史を生かす



地域の歴史
「地域の歴史は決して孤立したものではなく、世界に向かって開かれ、未来に向かって紡がれている」という考え方が本誌編集に携わる歴史文化研究所の考え方です。

世界に向かって
 1800年代中期、産業革命を背景にした帝国主義が鎖国の日本を震撼させ、開国に踏み切らせます。
 明治になり、産業革命の洗練を受けた国々から近代の思想や技術や仕組みを習おうとし、日本自らも近代国家を目指します。その日本が近代を取り入れるためには外貨が必要でした。近代の幕開け期の当時、数少ない輸出品の中では「綿花」が外国人の需要に見合ったものでした。綿花栽培を促進させるには肥料が重要でした。もちろん化学肥料などない時代です。そこで肥料としての「鰊〆粕」となり、小樽近海で盛んにとれていた鰊が世間の耳目を集め、北前船交易によって鰊が重要な商いの資源となっていったことで、北海道はもちろん小樽も重要な資源地となるのです。
 それに続いて、産業革命は機械が生産性向上の基盤でしたが、機械は燃料を必要とします。そこで電気はもちろん石油もない当時の唯一の燃料は石炭だったことから、幌内(現・三笠市)に有望な炭鉱が発見され、それを本州で活用するために幌内から積出港の小樽まで鉄道が敷設されます。この石炭流通の拠点として小樽は再度重要な地になっていきます。
 このように世界の趨勢であった産業革命や帝国主義の脅威から、北海道の資源の鰊や石炭が注目され、小樽港の発展につながってきたことが分かります。

未来に向かって
 こうして北前船や鉄道という輸送手段の拠点となった小樽はその港を活用して、今度は北海道開拓の拠点ともなり、明治から昭和初期にかけて一大飛躍を成し遂げます。
 巨万の富を築いた多くの小樽商人や銀行が社屋や商店や施設を勢力誇示も込めて建て始めます。これが時代を経て歴史的建造物となり、この町並みは第二次大戦の戦禍を幸運にも免れ、1950〜60年代の高度経済成長の波に乗りきれなかったために残り、さらに1970〜80年代の運河埋め立ての危機を保存運動で阻止し、それらの歴史的環境が世間的な注目を集めるなど、いくつかの歴史的アクロバットをくぐり抜けて、今の豊かな歴史的な環境を核とする小樽観光が成立してきました。
 このような事象を概観すれば、小樽が時間を経ていく中で、多くの歴史的環境が奇しくも残ったことをバネに、時代に即した観光都市になってきたことが見えてきます。
 さらに既に市民意識として定着した歴史的環境の重要さを保持しながら、地域ブランドをさらに磨いていく未来像に、明るい展望をみることができます。

観光都市そのギャップ
 こうして地勢的・時間的概観から見ただけでも、現在の小樽観光が如何に重要かが理解できます。また全国の多くの地方が過疎化し、かつての地域産業が空洞化していく中で、同じ過疎化都市の中でも新たに観光という価値を持ち始めた小樽は、他の地方から見ると、如何に羨望の的でしょうか。
 これだけ観光の重要性の説得力に事欠かない小樽ですが、観光素材の錬磨や、市民の観光への認識の広がりがまだまだ追いついていません。

小樽ブランドそのギャップ
 これと似た現象が小樽ブランドです。本誌の様々なコーナーでもご紹介しているように、一人歩きする小樽ブランドに追いついていない小樽産物や小樽製品がまだまだ多数あります。

小樽観光と小樽ブランド
 小樽観光への需要に追いつけない観光素材と小樽ブランドへの需要に追いつけない物産素材がふんだんにあるというのがこの稿の結論ですが、いずれも研究と錬磨によっては、実現できそうな距離にあります。
 産官学金の連携で、実質化装置をつくり、それを全市民的に応援する態勢があればと願ってやみません。