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帰化人(9) 小樽こだわりのライフスタイル

小樽の歴史的建造物の価値
北海道職業能力開発大学校
  准教授 駒木 定正 氏


北海道職業能力開発大学校 准教授 駒木 定正 氏
北海道職業能力開発大学校 准教授 駒木 定正 氏

1978(昭和53)年6月に前野麻袋倉庫でのセミナー(大家倉庫隣にあったが今はない)(森下満氏撮影)
1978(昭和53)年6月に前野麻袋倉庫でのセミナー(大家倉庫隣にあったが今はない)(森下満氏撮影)

帰化経緯
 1951(昭和26)年釧路生まれの駒木氏は、1974(昭和49)年に近畿大学建築学科を卒業後、大阪の高校に勤務、1977(昭和52)年に美唄工業高校の教諭として着任します。美唄では、炭鉱住宅の研究を行い、1年に1編の論文を手がけて建築学会で発表しました。そして美唄在住6年の間に小樽の歴史的建造物の豊かさを知り、頻繁に小樽に通うようになりました。
 小樽では当時、運河保存運動が盛んな頃で、1978(昭和53)年6月に前野麻袋倉庫において、駒木氏も加わる建築家集団「ハビタ」により「石造倉庫セミナー」が開催され、錚々たる講師陣と共に、約250人の市民によって運河保存への活発な議論がなされます。さらに同年7月には第1回ポートフェスティバルが開催され、駒木氏らも積極的に参画します。そして天命の如く1983(昭和58)年に小樽工業高校教諭となり、この段階で小樽に住民票を移し、精力的に歴史的建造物の調査・研究を行っていきます。

視点
 駒木氏の歴史的建造物の調査・研究は、小樽と中央の比較による価値、建築の技術やデザインの価値、そしてそれに関わった人間物語という俯瞰・細部・人間の3つの視点があり、強い説得力がうかがえます。

小樽区(市)公会堂
 小樽で最初に研究を手がけたのが1911(明治44)年建築の現・小樽市公会堂で、調査する中、図書館で図面や文書類を見つけます。その文書類から明らかになったのは、1911(明治44)年の東宮(皇太子 のちの大正天皇)来樽に際して建てられた公会堂(当時は東宮御旅館または東宮宿泊所)の経緯でした。建設費を寄付した藤山要吉が加藤忠五郎に依頼し、加藤は宮内省まで出かけて、当時内匠寮の木子幸三郎に出会い、木子がその熱意に感銘し設計の素案づくりも行ったということでした。

日本銀行小樽支店
 次に手がけたのが日銀小樽支店で、日本銀行の図面などは本来公表できるものではなかったことから、建築の研究は誰も手がけていませんでした。調査の結果、辰野金吾の日銀など工部大学校(東京大学工学部の前身)第一期生4人のうち三人の作品(佐立七次郎の旧日本郵船。曾禰達蔵の旧三井銀行)が小樽に残されているという事実が確認されます。
 さらに東京の本店から小樽支店の新築に至る過程を調べると、門司・大阪・名古屋・京都の日銀に比べて、小屋組に鉄骨が使用され、営業室に柱がないことを発見します。日露戦以後に八幡製鉄所の鉄が流通し、鉄骨という新たな建築技術が小樽支店に採用されたことが見えてきました。

駒木邸
駒木邸
自邸
 1985(昭和60)年に取り壊しが決定した旧金澤邸を惜しみ、洋館部分を自らの住宅に再利用することを決意し、同時に友人の小川原 格氏が母屋の部材を蕎麦処籔半に移築します。この事例は小樽で歴史的建造物を移築し住宅にした先駆けとなりました。

全体像
 1992(平成4)年に「小樽の歴史と自然を生かしたまちづくり景観条例審議会」が発足し駒木氏は副会長に就任し、1994(平成6)年小樽市教育委員会社会教育部発行の『小樽市の歴史建造物』の調査を手がけます。そこでは対象物件が
2,357棟あることが確認され、そのうち508棟を対象に詳細調査を行いました。これによって小樽の歴史的建造物の全体像や構造の分類が把握され、さらにフィールド調査の結果、細部の様々な特徴が明らかにされたのです。

今後
 2001(平成13)年に駒木氏は北海道職業能力開発大学校の助教授となり、ますます具体的調査・研究が深まっています。駒木氏は今後の小樽のまちづくりにおいて、専門家チームをつくり、これらの保存再生の技術やノウハウをアドバイスできる機関を展望しています。
 小樽に駒木氏がいなければ、歴史の価値や観光の価値、なかんずく都市としての文化的価値は見いだされていなかったでしょう。


<小樽運河保存の運動>
<小樽市の歴史的建造物>