小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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比較論(3) 他の地域との比較から小樽の輪郭を探る

岩内と小樽〜先駆けのこだわり〜


初代場所請負人
 江戸時代、松前藩は海産物資源の拠点に場所請負人を配して商人に管理をさせるのですが、イワナイ場所の初代場所請負人はイチゼンバシ恵美須屋 岡田弥三右衛門で、寛延4(1751)年〜明和2(1765)年です。これに対してヲタルナイ場所の請負人の最初は天明6(1786)年の大和屋弥兵衛です。
 岩内に遅れること15年です。

鉄道敷設
 江戸時代安政年間にイワナイ場所の版図に茅沼炭鉱が発見され、文久2(1862)年に米人技師ブレーク・パンペリーが試掘に貢献しています。また明治になってもこの事業は新政府に継続され、ガール、スコットなどのお雇い外国人が茅沼に異人館を建設し、1869(明治2)年には炭鉱から海岸までの鉄軌を敷設します。これは「日本最初の鉄軌道」といわれますが、実際は木軌に鉄を張ったものです。
 これに対して小樽〜札幌間に鉄道が敷設されたのは1880(明治13)年なので、内容や形式はともあれ、鉄の道は岩内に遅れること11年、また欧米文化を受容したのも17年の差があります。


 岩内町は1901(明治34)年に国費による築港を陳情し、北海道庁は同年7〜10月に調査を実施します。1907(明治40)年、岩内町は町費とわずかな補助で岩内漁港修築工事を開始し、1910(明治43)年に西防波堤の第一期工事を竣工させます。このときの経費は当時栄えていた漁場に臨時に課した税金が貢献ています。つまり民間漁業者がお金を出し合ってつくったといってもいいでしょう。
 これに対して小樽は国費によって1908(明治41)年に北防波堤が完成しています。港こそ小樽が2年早く完成していますが、町費(自費)と国費の大きな違いに、岩内の人々の強い意志が見えます。

後志の牽引役へ
 このように場所請負人設置・鉄道・そして港という都市基盤整備に関して、小樽はすべてにおいて、恩恵を受けてきました。小樽はいみじくも後志管内においては兄貴分です。後志全体の活性化のためのビジョンを持ちたいものです。

<小樽市史第一巻><岩内町史>