小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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地域貢献 〜外貨獲得〜 (16) 地域経済全体のパイを大きくしてくれる

株式会社 サイダ
 代表取締役 齋田 義孝 氏
〒047-0013 小樽市奥沢1-25-23
TEL(0134)33-7711 FAX(0134)33-7713


株式会社 サイダ 代表取締役 齋田 義孝 氏
株式会社 サイダ 代表取締役 齋田 義孝 氏

 一般に市外での売上率の高い企業は、市内売上率が小さいせいか、市民はその企業がどういうものか知らない場合がよくあります。ずっと以前から知っていても、「そういう業務内容だったんだ」と感心する事例が、今回の株式会社 サイダです。

外貨
編集(本誌編集人 石井伸和)
昨年度の売り上げと市外への販売率は?

齋田(齋田義孝社長)
12億9千万円でした。うち95%が小樽以外からの売り上げです。

編集
主な販売先、業務内容、人員は?

齋田
防衛庁調達実施本部、東日本旅客鉄道株式会社、北海道旅客鉄道株式会社、北海道警察本部および各署、北海道庁および各出先機関などのオーダー・ユニホームを製造販売しています。現在の人員は42名です。

編集
すごい客層ですね。しかもすべてオーダーだったのですね。

沿革
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どのような沿革を?

齋田
明治19年に能登から曾祖父 松太郎が渡道、北前船や漁船などの船大工として小樽に来ました。当時の小樽には北前船や帆船の寄港が多く、松太郎は船大工に加えて帆布製作の技術も積みました。
 明治後期になると木造船から蒸気船が主力となり、祖父 治三郎の時代になります。治三郎は終戦後には全日本発明協会の会長にも就任するほどアイデアマンで、例えば高いビルなどに設置する救助袋を開発します。さらに単なる発明ばかりでなく、国会議員などに働きかけ、救助袋設置が消防法で義務づけられるのです。この頃の製品にはリュックや帆前掛などもありました。
 父 英一の代になり、防寒フード止めや汗抜きメッシュなどの実用新案も取得します。この頃の本社は東京で、私が働き始めたのは、齋田工業株式会社の製造部からです。
昭和52年に私が小樽で今の会社を立ち上げました。業務の柱はオーダーユニホームです。

エピソード
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小樽の歴史には欠かせない北前船から波及しているんですね。まさに歴史が未来に向けて紡がれている事実があってウキウキします。

齋田
治三郎の時代に開発した救助袋のヒントは、松太郎が手がけた船の帆布づくりからもらったと聞いています。
 船が蒸気船に変化していくと、その船から荷を降ろす際に、まだクレーンなどが普及していないので、人が担いで降ろすか、滑らせて降ろすかしかなく、そこで滑らせて降ろしても破れない特殊帆布加工を苦心の末開発するのです。この特殊帆布加工が基礎になって実用新案の救助袋が誕生しました。ですから人が考える様々なアイディアは、決して無駄ではなく進化したり他にも応用できたりするのです。そしてそれが人命を救うことに貢献できるというのは商売冥利に尽きますね。

コーティング加工とテーピング
コーティング加工とテーピング
技術
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いろいろな意味で面白いエピソードです。それに付随してこの間、どんな技術が蓄積されてきたのですか?

齋田
コーティングと呼ばれる特殊防水加工をほどこした布地を縫製する技術で、アクリルや合成ゴムなどを裏地に付着させた布地を縫製加工する技術が柱ですね。また付属物をとめるテーピング技術も長年の成果です。
 お得意先の自衛隊で防水が未熟だと動きがにぶり死活問題になる場合も想定されます。想定されるリスクは事前に防がねばなりません。そこに研究の成果が発揮されてきましたし、その技術の応用で、ヤマハやデサントなどのスポーツ用品メーカーからも縫製の引き合いがきたりしました。
 現代は、日本も含めて先進国からアジアへものづくりが移行している時代ですが、人員や設備投資をしてもなお、当社が製造業に軸足を定めている理由は、この技術が発揮するダイナミズムだと思います。

編集
単なる縫製にとどまらず、優れた技術を開発してこられたわけですね。本日はありがとうございました。