小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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収穫(7) 後志でなにが収穫されているの

観光農園の果物
山本果樹園 株式会社
 山本観光果樹園
 代表取締役 山本 幸章 氏



農園のあゆみ
 初代は明治3年、四国の香川県より余市町へ入植しました。現在の農園一帯は、当時アイヌの人々も住んでいた雑木林でしたが、初代は一般農作物を栽培するために開墾を行い、およそ10年の歳月を経て徐々に農地を広げていったそうです。
 明治5年、ホーレス・ケプロンがアメリカから果物の苗木を輸入し、この苗木をケプロンの助手ルイス・ポーマーというアメリカの青年が北海道に持ち込み、移住しながら農業指導を続けました。これらの苗木はほとんどが枯れてしまいました。しかし明治12年、生き残った中で余市の木に初めてリンゴの実がなりました。これが北海道の果樹栽培の始まりといわれています、
 初代は明治10年に果樹を植栽したという記録があることから、この時期に果樹の農業指導を受け、失敗を繰り返しながら栽培を始めたものと思われます。

農園概要
 現在の農園の植栽面積は10ha。リンゴ3.3ha、サクランボ3ha、ブドウ1.8haと、3品目で全体の8割を占めています。残りはモモ、ナシ、プルーン、ブルーベリー、イチゴなど北海道ではお馴染みの果物を栽培しています。また、山本観光果樹園は一般的な生産農家としてではなく、観光農園としての経営に絞っているため、生産物と加工品はすべて消費者への直売となっています。

観光農園として
 果物栽培は大正期に二代目が栽培面積を広げ、その後三代目から観光部門の農園をオープンしました。全面的に観光農園として取り組んだのは四代目の幸章氏からです。
 取り組みのきっかけは生産農家としての将来を真剣に考えたことです。生産物の価格の低迷や消費者の嗜好の変化などを考えると、明るい見通しがなかなか出てきませんでした。しかし観光農園になれば明るい将来が見えるのか。それはまったく未知の世界でしたが、中途半端に生産と観光の経営をするよりは、観光1本に絞って挑戦しようと決心しました。
 もちろん最初から観光農園として順調に進んだわけではありません。当時、余市での観光農園は国道5号沿いでしか成立しないといわれていました。山本観光果樹園の立地は国道から内陸に入った丘の上にあり、絶対に成功しないだろうと回りからいわれました。しかし山本氏はこの立地を逆手にとり、丘全体が農園でシリパ岬を望む景色とゆったり広々としたロケーションを武器に売り込んだのです。
 栽培した果物の味には絶対の自信がありましたが、これをどう伝えるか、どう売り込むか。試行錯誤の連続でした。この時、大きな力になってくれたのが異業種の仲間だったのです。三代目から農園を引き継ぐと同時に、コツコツと築いてきた人脈やネットワークが、お客様を呼び込む色々なアイデアや経営戦略の構築に大きな力となり、今日も活かされてます。

こだわり
 観光農園は栽培する現場をすべて見せる農業です。そして、その場で木からもぎとり食べるため、「安心・安全」でなければなりません。そのため健康な土作りと肥料に最もこだわります。ミネラル分を重視し有機質肥料を使用しています。(雑粉、堆肥、ナタネ粕、大豆粕…など)
 これらは果物に良いばかりでなく、土壌菌や土壌中の生物のえさとしても考えてのことです。
 自然がもともと持っている力を引き出すのが有機質肥料なのです。

これからの戦略
 これまでは「安心・安全・美味しい」が武器でしたが、これらは既に定着しました。これからは時代を捉える情報収集力と新たなチャネルの動きに敏感になること、数年後を見据えて先手を打っていくことだといいます。すでに近年は台湾、香港などの東アジアからの来園者が相当増えています。しかし中国はまだ動きが鈍いのですが、これから来園が伸びると予測し、現地へのアプローチをはじめています。また本州方面にもネットワークを通じて積極的に果物を売り込むなど、攻める観光農園を実践しているのが山本観光果樹園です。