小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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神社祭
神社祭の起源と小樽祭


百貫神輿宮入
百貫神輿宮入

祭りの起源
 今日では「中古車祭り」「住宅祭り」といった販促催事などにも多様に「祭り」という語は使用されていますが、賑やかに多くの人々が集まることをイメージして使用されています。さて、祭りは賑やかに多くの人々が集うものなのでしょうか。
 人が生きていく過程で、良き未来を祈ったり、良き結果に感謝したりする心は、性別も年別も国別も宗別も問わず万民に普遍的にあります。古代の狩猟民族が熊から食料や皮をいただいたという結果に対して「熊おくり」の儀式をしたり、農耕民族が「五穀豊穣」という未来を祈って儀式化したりしてきたことが「祭祀」の起源といわれています。
 いわば祭りとは、人智の及ばぬ目に見えぬ力(気配)に対する人の心の表現で、最初から賑やかさを前提とはせず、むしろ命への厳粛な儀式といえます。だから「奉る」「祀る」という語もあるのでしょう。
 このような起源が以下アレンジされてきました。神道の儀式の中に「ニイナメ」「ナオライ」「オモシロ」という段階を示す言葉があります。「ニイナメ」とは神との交信の儀式、「ナオライ」とは儀式を勤めた後の飲酒、「オモシロ」とは飲酒の効力での酔狂をいいます。「ニイナメ」から天皇が五穀に感謝する「新嘗祭」、「ナオライ」から無礼講の飲酒の席である「直会」、「オモシロ」から酔狂で騒いで顔を白く塗る「面白い」という言葉が一般化してきました。
 どうやら、賑やかに多くの人々が集う印象は、この「オモシロ」の結果のみをとらえて流布しているようです。

祭と政
 人の世はいやがおうにも競争社会です。当然時の権力者が誕生します。大きな社会であれ小さな社会であれ、権力者が政治を司りますが、同時に儀式の祭りも権力者が主宰あるいは指示してきました。「祭」も「政治」も主宰が同じであることから、「政治」を「政」というようになったといわれています。<『世界大百科事典』>豊臣秀吉が権力を誇示するために花見大会のような一大イベントを行ったことは有名な話です。

小樽祭
 小樽市調べでは平成22年現在、15の神社祭が小樽で毎年開催されていますが、その中でも住吉神社の例大祭が「小樽祭」といわれていますが、その背景を住吉神社の星野昭雄宮司は次のように語ります。
「背景として3つのことが考えられます。一つ目は、北海道開拓の政策によるものです。当神社は北海道内の神社の社格としては、北海道神宮、函館八幡宮に次いで3番目の地位にあります。明治以後から昭和20年まで神社は国の管理下にあったことから、6月15日は北海道神宮、7月15日は当神社、8月15日は函館八幡宮と三大神社の例祭日を開拓使庁が意図的に当てたと思います。明治・大正時代、この3つの例祭を北海道三大祭りと称しておりました。二つ目は、小樽経済状況によるものです。明治大正時代の小樽市経済で年内で一番繁忙していたのが北前船が寄港する6月から7月にかけてといわれ、町として一番景気が良い時期に大規模の例祭を行うことが順当だからです。三つ目は、風俗的によるものです。その町を代表する例祭を「○○祭り」と称しております。余市祭や岩内祭も同様です。必然的に町を代表する神社の例祭を、市町村の名前を取って言われたものと思います」
 また市内の企業が小樽祭の7月15日を休日としてきた慣例が今も残っています。