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帰化人(14) 小樽こだわりのライフスタイル

影と背伸びの街
市立小樽文学館
副館長・学芸員 玉川  薫 氏
E-mail:kaoru.tamagawa@nifty.com


市立小樽文学館 副館長・学芸員 玉川 薫 氏
市立小樽文学館 副館長・学芸員 玉川 薫 氏

帰化経緯
 昭和28年福井県福井市生まれの玉川氏は、北大文学部に進学しますが、予てから北海道には憧れていました。元来暑さに弱いので北志向に加え、映像や絵葉書などから北海道の大自然に興味を抱いていたようです。しかし、ポプラ並木は立入禁止、時計台は車が激しく行き交う中、そして街並みの整然とした様に失望します。大学では国語科で鎌倉時代の写本を題材に日本語の文法などを研究していましたが、学生時代に数度、小樽に足を伸ばす機会を得ます。
「当時の小樽はまだ大國屋があった時代で人口も多かったのですが、街並みのヒダごとに影の多い印象を受けましたね。日本でも珍しくスポットに落ちた感覚、あるいは時間が止まった感覚を受けました。よくひとつのものを凝視すると回りがボケて見えるように、僕はそんな夢をよく見ます。小樽には僕好みのヒダがたくさん見えて回りがボケる風景を何度も見ました」
 そして卒業後に東京の医学書専門の出版社に就職し、1年余りが経過して、答えが一つの理系には向かない自分を再確認します。その頃、大学時代の教授から小樽文学館の紹介を受け、かつての小樽への好印象や学芸員資格も取得していたことから文句なしに願書を提出し合格します。

ダークファンタジー
 昭和53年に市立小樽文学館が開館し、翌54年から玉川氏の小樽文学館勤務が始まります。玉川氏は本来「ダークファンタジー」を好み、江戸川乱歩や宮沢賢治を愛読していましたが、小樽への印象もそこにあったようです。
 昭和50年代は小樽に多くのユニークな喫茶店が乱立していました。玉川氏は喫茶店で珈琲を飲みながら様々な空想に耽るのが日課になり、その空想の中にも小樽のシテュエーションが登場します。
「電気館などという明治ならモダンな名称ですが昭和後期にも毅然と存在していたり、今も光という大正ロマネスク風の喫茶店があったり、大國屋のような田舎百貨店には手動式のエレベーターが活躍したり、当時レトロブームはあったにせよ、小樽は決してブームでそうなっていたのではないのが好きでした。そしてそのような現象は取り残された結果とはいえ、それに気が付かない小樽が私にはとても魅力的に感じたのです。肩に力が入らず、路地に入ればどこもシュールで、気楽で固有のライフスタイルが似合うのです。小樽運河問題を契機に小樽はあることに気づき新たな運動が展開されていますが、それも自然で先進的ではありますが、建物は残せても人間が残っていない、いや人間のライフスタイルが継承されず、消えていった多くのものに哀愁を感じてしまうんです。僕は小樽に来て30年以上経過していますが、いまだに夢の中に、そう回りがボケている世界にいる気がしてなりません」

ユーモア
「僕は文学の中で一番大事にしているテーマがユーモアなのです。ユーモアというのは勢いに乗っていたり堂々としている人にはどちらかというと発揮されず、むしろ無縁です。だから札幌にはなく小樽にはあるのです。「取り残された感」や「あきらめ感」の中からユーモアが生まれ、生きる味わいとなります。それは計数で図ったり大きさや重さで図れない領域ですね。小樽には背伸び現象があちこちに見られます。これが人間っぽく安心できるのです。そういう意味で小樽はスキだらけです。衛生殺菌されたところにユーモアも文学も、そして特異な発想も生まれません」

影と背伸びの街
 黙って玉川氏の話を聞いているだけで、何故かニヤニヤと微笑んでしまうような思いにかられます。「玉川さんらしい」というユーモアと「小樽は100%そうだな」という共鳴のせいでしょう。
 小樽はまさに「影と背伸びの街」、文学的な小樽をこよなく愛しているその表情は、感動的な映画を見て、まるで人生観を変えてしまうような取材でした。