小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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小樽の意匠(8) うだつ  梲・卯建・卯立


由来
 そもそも梲(うだち)から派生し訛って「うだつ」というようになり、卯建・卯立などの漢字が当てられてきました。
 「江戸時代の民家で、建物の両側に「卯」字形に張り出した木屋根付きの袖壁。長屋建ての戸ごとの境に設けたものもあり、装飾と防火を兼ねる。(広辞苑)」とあり、「うだつが上がらない」というように「出世ができない。富裕の家でなければ「うだち」を上げられなかったことから転じたといわれる。(広辞苑)」ようです。
 堺町通りや色内大通は、かつて小樽の商業が盛んだった頃のメインストリートでしたので、商家や商店にはうだつを上げた建物が残っています。
 今日うだつのある街並みは少なくなっていますが、徳島県美馬市の脇町南町や岐阜県の美濃市などでは、うだつを地域の象徴的な存在としてその保存に努めています。

旧早川支店のうだつ
旧早川支店のうだつ
旧早川支店(現・ビブレ サ ヴィ プラス ミーユ)
 この建物は入船6番地に本店のあった早川商店の支店として明治37年に建てられました。
 早川からの暖簾分けですので、印も(図1)となり、同年5月の大火による焼失が大きく影響してうだつをあげたと想像できます。その証拠にうだつは手宮側のみで札幌側は通りに面し類焼の可能性がなく、合理的と思われます。しかし印の中部・下部に彫られた朝日・鶴・亀は日本古来の縁起の良い図柄ですのでしゃれっ気は垣間見られます。(14号参照)

旧名取高三郎商店のうだつ
旧名取高三郎商店のうだつ
旧名取高三カ商店(現・小樽大正硝子)
 これも明治37年の大火後の39年に建てられた建物で、同じく合理的に隣接する対角線で2つのうだつが上げられています。うだつの上部には名取商店に印(図2)(マルジョウイチ)が彫られています。

旧金子元三郎商店のうだつ
旧金子元三郎商店のうだつ
旧金子元三郎商店(現・おたる瑠璃工房運河店)
 明治28年以後(19号再生史に詳細)に建てられたこの建物は、政財界で活躍した豪快な金子元三郎商店ですが、明治37年の大火以後という見方をとれば、うだつは絶対条件の防火として上げ、見栄や権威は二の次で、派手好きの金子としては一般的な装飾しか施さなかったと納得できます。

旧北海雑穀株式会社のうだつ
旧北海雑穀株式会社のうだつ
旧北海雑穀株式会社(現・光と香りの館)
 明治40年建築のこの建物は名取・金子に並ぶ建物で大火の経験はありませんが、先達の訓を倣って何の装飾性もなくあげたと思われます。