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食材(17) 後志の食材を知ろう

ドイツの伝統 ハム・ソーセージ


ハム・ソーセージ作りのはじまり
 日本でのハム製造の記録として残っているもので最も古いのは、明治5年に長崎の片岡伊右衛門という人がアメリカ人のペンスニから製法を教わって、同年11月にハム工場を建設し製造が開始されます。
 また北海道では明治6年、開拓次官となった黒田清隆が北海道内の食料事情が悪化したことを考慮し、欧米風の食生活を採用し、パンと肉食を奨励するためハムの製造に力を注いだといわれています。

ハム・ソーセージ作りのはじまり
 ハム・ソーセージ作りが北海道で本格的になったのは、函館のカール・ワイデル・レイモンの功績が大きいといわれています。
 レイモンは1894(明治27)年、ドイツ・ボヘミア地方カルルスバートという町で、生まれました。父のアントン・レイモンが四代続いた食肉加工のマイスターだったこともあり、レイモンはハム・ソーセージづくりに5才の頃から興味を覚えました。そして14才の時、父の友人のマイスターのもとで本格的な修業を始め、18才を過ぎてマイスターの資格を得ました。第一次世界大戦を経て世界最大の食肉会社であるアメリカのアーマ社へ3年間研修へ行き、ここでレイモンのハム・ソーセージ作りの基礎が完成しました。研修を終えたレイモンは、大正8年来日。東洋缶詰会社の技術指導者になり、その後アメリカの会社からの誘いで函館に赴くことになりました。そこで勝田旅館の娘コウと出会い、故郷のカルルスバートでハム・ソーセージ作りを始めました。しかし3年後、レイモンはコウのことを思い、函館永住を決めたのでした。大正14年、レイモン31才、コウ26才。
 函館駅前に店と工場を構えましたが、当初は見向きもされず、苦労の連続でした。それでもドイツ伝統の製法を守り続けます。その結果、昭和49年の西ドイツの大統領を皮切りに、日本、北海道知事などから数々の賞を受賞しました。
 地元函館の人々、全国のファンから「胃袋の宣教師」と呼ばれたハム・ソーセージづくりのマイスターと呼ばれましたが、昭和62年12月1日、93歳の生涯を閉じました。
 レイモンの魂と味は今も函館で脈々と引き継がれています。

<函館人物誌>
<日本ハム・ソーセージ工業協同組合HP、ニッポンハムHP>