小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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比較論(9) 他の地域との比較から小樽の輪郭を探る

長崎と小樽


長崎の眼鏡橋
長崎の眼鏡橋

共通の背景
「我が町出身の英雄はいないが、我が町を舞台に英雄になった人は多い」と1985年に長崎を訪れたときに、当時純心女子大学教授の越中哲也氏が語っておられました。それは別な理由で小樽にも共通します。小樽の歴史上著名な、辰野金吾・佐立七次郎・廣井 勇・板谷宮吉・高橋直治・岡崎 謙もみな本州生まれの移民もしくは出向だからです。
 いずれも政治的・経済的・地理的条件が重なり、長崎は幕末、小樽は明治に人々が足を向ける傾向を持っています。
 長崎は外国人と交流できる窓口であったことから、帝国主義の脅威の中で志のある多くの志士が訪れました。小樽は北海道西海岸の鰊や内陸の石炭という資源確保と移民の奨励を進めたことから、近代化の波に乗じて志のある多くの商人や技術者の舞台となりました。

スタンス
 長崎は町人文化、小樽は商人文化と思われます。町人文化を市民文化と言い換えてもいいでしょう。眼鏡橋の再生保存や、隠れキリシタンの潜在と継続は、長い歴史の中で市民の公的な志が貫かれています。いっぽう合理的な商人文化で形成された小樽ですが、大戦前後で形跡だけが残り雲散霧消し、運河保存運動以来市民文化が過去の商人文化を継承していると見れば、現在の長崎と小樽は市民文化のスタンスは共通しています。

現場のリアリティ
「あの料亭に坂本龍馬がつけた刀傷という掲示がされていますが、それは歴史的には確認されていません。でも私たち歴史家はそれをはずせとはいいません。観光と学問は違います。観光客はそれを信じて夢を馳せますので、結果OKです」越中教授はそういわれました。
 昭和50年代に小樽を訪れた作家が雑誌に紀行を寄せていました。「石川啄木は小樽にいたんですね」とタクシーの運転手に語りかけると、「冗談じゃない。散々借金を踏み倒して逃げやがって」とビックリするような話になったようです。
 全国的に英雄と認められた人物に対して、必ずしもそうでない事情もあることを示すエピソードです。