食品 若鶏の唐揚げ
有限会社 若鶏時代なると
代表取締役 栗嶌たみ子 氏
〒047-0032 小樽市稲穂3丁目16番13号
TEL:0134-32-3280
バリエーション 希有な現象
大型店や有名店が進出すると、長年その地域に根ざしていたお店が縮小や閉店を余儀なくされるケースが実に多い。競争社会における弱肉強食の悲しい原理である。ところが逆の事例として、なるとは希有なケースを歩んできた。
なるとは1957(昭和32)年以来小樽で営業してきたが、1979(昭和54)年12月1日に世界85ヵ国13,591店舗(2005年5月)を展開しているケンタッキーフライドチキン出店に遭遇する。クリスマスや年末年始直前ということもあり、小樽市民はこぞってケンタッキーの唐揚げを試食する機会を得ただろう。
ところがその結果、「でも自分はやっぱりなるとの唐揚げの方がいい」と判断する市民が実に多かったのである。さらにその比較がきっかけとなり「なるとの唐揚げ」というブランドが生まれ、他の地域から「一度食べてみたい」といった観光資源にまで、その価値を高めてきたのである。
今日では札幌にも模倣点が多数生まれるまでになっている。この現象はまさに小樽の誇りといってもいい。
なると創始者 栗嶌寅男(故人)・たみ子夫妻は、幼い娘2人を連れて、昭和31年8月24日に故郷の淡路島福良を出て小樽に移住した。今日の若鶏の唐揚げがメニュー化されるのは昭和33年頃である。
唐揚げという調理方法には様々な系譜があるが、栗嶌夫妻が開発したのは、現場での手づくりによる試行錯誤の結果である。我々が時代を経てなんらかの発見の歴史をうかがうとき、「そのヒントはどこから?」という系譜を紐解きたくなるが、この系譜に全く関わりのないところにも発見の現場があるという事例ともいえる。
昭和30年代はいわゆる外食産業が小樽にも普及していく時代だが、この当時、「花屋の釜飯」「モリヤのカレーライス」そして「なるとの唐揚げ」は小樽市民の外食の定番となっていた。前二者は既にないが、ちなみに釜飯とカレーの専門店である。これに対してなるとは唐揚げを主たるメニューとして掲げるがラーメンも寿司も含めた大衆食堂の路線を今日も維持している。お客のニーズに対応するというマーケティングの中に、しっかり自らの特徴を伸ばすというブランディングの陣容を形成し続けているのだ。
栗嶌たみ子氏は「太平洋のど真ん中に放り出されて、どこにどうしていけば岸にたどりつけるか」とこれまでの寅男氏と歩んだ人生を回顧される。泳ぎ続けなければ沈んでしまうという現実の中で、歴史や哲学や広い情報というものを受け入れる時間も余裕もなく、ただひたすら目の前の処理すべきことに没頭してこられた。知らなくても行わねばならないことは全て現場の中で学んできた。本来、発見や進化の瞬間は、こういったせっぱ詰まった中に発揮されるエネルギーが大きく左右するのかもしれない。