小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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COLUMN

いまひとつに


小樽への批判
 小樽赴任となり、何年かに亘って小樽で仕事や生活を営み、様々な小樽人と交流された多くの方々は、帰り際に必ずこういう憂慮を語る。「小樽はたいへんおもしろい発想や動きがあって、とても好奇心がくすぐられます。それは進取の気性、あるいは時代への警鐘、はたまた十分可能性を持つ未来予想が込められているのです。ところが、そういう輝く芽がたくさんありながら、大きな波紋になる前に、少ない小樽人だけで相殺してしまっている、つまりひとつの輪になれないでいる。これが残念でなりません」まとめるとこういう話になる。

小樽人のルーツ
 年貢を米で納め、米の単位である石高を勢力の代名詞に使い、あたかも農本主義で日本の生業が成立し、百姓イコール農民であるかのように、我々日本人は日本史を大きく誤解している。そう中世史の研究を分野とする網野善彦氏はいう。領土を持たず国境を意識せず、漁撈や商いや廻船や手工業を生業としてきた大多数の「海民」と呼ばれる人々の歴史があったといい、それらを中心に営む地域には、様々な物や文化が入り込み、必然的に都市化してきたともいう。
 この事実を小樽の歴史に照らしてみる。小樽がまだ小樽でない頃、近江商人が海産物の管理の元締めとなり、弁財船を駆使して交易を行い、以後北国と呼ばれた北陸地方の加越能商人が、独自の北前船交易を商い、商業の近代化のシンボルである倉庫を建て、次にこの拠点に目を付けた越後商人などが商いの版図を広げ、国内はもとより海外にまで活躍の場を築いてきた。
 明治2年から昭和元年までに北海道に移民した記録が227万人もいて、その大多数が「仕方なく移民せざるをえない」消極的な人々だったが、積極的に移民してきた人々もいた。
 いわばこれらの小樽商人たちのリードでつくられてきた小樽は、日本史の裏側で活躍した海民の継承者といえるのではないか。

いまひとつに
 進取の気性の乱立する小さなまちは今、ひとつになって押し寄せる津波のような怪物と立ち向かわねばならない。既存の問題も多々あるが、その問題に真摯に対応している間に、あっという間に津波に全て飲み込まれてしまう。自由交易は海民の基本だが、自由にも塩梅がある。無防備な自由は結局、帝国主義などという不条理な化け物をも正当化してしまう。金や権力にまかせて自由をもぎ取られるのは避けねばならない。
 さてその津波である。いまそこに押し寄せる津波は、中国人と中国マネーのことである。「たくさん来てくれるのだから」「売りたい不動産を買ってくれるのだから」いいじゃないと多くの市民は思っている。それで済めば確かにいい。なにが津波の要素かというと「覇権」である。覇権とは、森林を買い水利権を得、農地を買い食利権を得て、北海道の自由にならなくなることをいう。北海道の最大の利点である「水」と「食料」は、かつて覇権のシンボルであったオイルマネーに替わって、21世紀の世界がむさぼる資源なのだ。東京や京都よりも北海道に向けられた中国マネーの底辺には、グローバル化を台頭する新たな中国の世界観の勢いがある。
 この状態を資本主義や自由市場、あるいは個人の需要と供給に委ねていると覇権は益々地歩を固める。小樽がいま、ひとつにならなければならない事情はここにもある。

シフト
 無防備なグローバル化を避け、中国人観光客にとっても、小樽の観光施設にとっても、そして小樽観光にとっても幸せとなるような公的機関が必要だ。その機関は全国区になった小樽観光を、今度は世界的観光地に牽引するために、交流を促進する。中国人観光客に対しては案内役となり、観光施設に対しては人材を供給し、小樽で働く中国人に対しては教育を行う、そして前述の危機感に対する規制を公的なネットワークで構築しなければならない。