小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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地域資源活用ビジネス(22) 小樽独自のビジネスモデル

小樽天狗山スキー場
中央バス観光商事株式会社

TEL:0134-33-7381
http://www.cks.chuo-bus.co.jp/tenguyama/
〒047-0023
小樽市最上2丁目16番15号


昭和27年3月 木製で道内初のリフト(小樽商工会議所提供)
昭和27年3月 木製で道内初のリフト(小樽商工会議所提供)

間宮林蔵が紹介した「ストー」
間宮林蔵が紹介した「ストー」
北海道とスキー
 日本にスキーの前身が伝えられたのは、間宮林蔵が2年間に亘る樺太探険の報告書『北蝦夷図誌』(1808年)において、「ストー」という毛皮でつくられた雪上滑走具を紹介したのが最初である。
 そして1910(明治43)年に、オーストリアの陸軍参謀少佐テオドル・フォン・レルヒが新潟県越後の高田師団に配属され、日本人に初めてスキーを指導し、1912年に羊蹄山登山にスキーで登った記録から、倶知安にはレルヒの銅像が建てられている。

小樽とスキー
 スキーは雪国で使う。だから日本海側の雪国に普及した。北海道の中では、歴史が古い函館には雪が少ないため、北海道開拓の玄関口であった小樽にいち早く普及した。
 明治45年2月、高田に派遣された苫米地英俊(小樽高商三代校長)がスキー3台を持ち帰り、小樽高商や中学校にスキー部が誕生した。大正10年9月、伴房次郎(小樽高商二代校長)を会長に小樽スキー倶楽部が誕生している。
 大正12年2月には、全日本スキー選手権大会の会場の一つに小樽の天狗山が選ばれ、昭和2年には天狗山シャンツェが建設され、板垣武志、浅里正勝、笠谷幸生、アルペン選手では、岡部哲也、皆川賢太郎、佐々木明、吉岡大輔など多くのメジャー選手を輩出してきた。
 いわば小樽はスキーのメッカとなり、その母なる山は天狗山だった。
<スキー資料館>

海を一望の山頂
海を一望の山頂
天狗山スキー場
 天狗山は営林局が所有し、小樽市がスキー場として開発管理、昭和27年本道初リフト運営、同31年リフト移設、同34年リフト山頂へ延長、同36年にはA級国設スキー場(国際大会可能なスキー場)の指定を受け、同38年には10万人の利用を記録、同41年札幌オリンピック決定に伴いリフト全面改修、同49年休憩所「かもめハウス」建設、この過程を踏み、観光開発の需要が高まる中、昭和53年に北海道中央バスが開発を引き受けるととになる。昭和55年ロープウエイ、山頂レストラン、園地、大型駐車場、同56年山頂のレストハウスとスキー資料館、同57年リス公園、同58年水道管を山麓から山頂へ延長した。

天狗の館
天狗の館
天狗山
 「小樽人なら水泳とスキーがうまくて当たり前」といわれてきたが、水泳人口は大きく減り(17号参照)、いまやスキー人口も減っている。全国的にその傾向があるが、小樽の場合やはり人口減や少子化が大きな原因だ。市内の各学校で水泳授業は減っているが、スキー授業は今日も健全なのが救いといえる。昨年1月のべ4,000人、今年1月のべ3,500人が天狗山スキー場のリフトを授業で使用している。スキーばかりではなく、天狗山全体としては通年で、平成18年50万人、同19年51万人、同20年47万人、同21年48.5万人がロープウエイとリフトを利用し、気になる減少ではない。逆にアジア人観光客の利用が大きく伸びているのは朗報だ。

雪資源
 今年も記録的な豪雪、雪が降って困る人も喜ぶ人もいるが、せっかく雪国に暮らすなら喜ぶ機会を味わなければもったいない。スキーはもとより、雪を利用するレジャーやスポーツは多彩になっている。小樽人の多くのライフスタイルの中に、是非雪を楽しむメニューが浸透すればと思う。