小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
bg_top
alwHOMEalw読んでみるalw比較論(12) 

比較論(12) 

沖縄と小樽


寒と暖
 温暖地域はのんびりし、寒冷地域はせかせかしているという比較をよく聞く。のんびりもせかせかも考えようだ。棕櫚の木陰でのんびりするのは素敵だが、約束の範囲に時間が含まれないのは約束とはいえない。時間の約束を守るのは当然だが、せかせかとする人とは約束もできない。

比較のネタ
 沖縄は都道府県で小樽は市町村だから、同列で比較し難いが、民族的視点での特徴をそのネタとする。とはいえ沖縄は歴とした琉球民族であり、小樽は日本各地から寄り集まった和人複合所帯である。
 沖縄といえば音楽だ。しかも琉球音階といって「レ」と「ラ」がない。民族楽器の三線もそうできているから、誰が弾いても琉球音階になる。世界に発信できる貴重な発明で、こういう文化がたまらなくいい。
 小樽といえば「?」とつまる。世界を出されればである。せいぜい近代化を走った歴史的建造物の街並みとしかいえないが、それでもなんとか全国区には発信できる。

多民俗所帯
 さて、和人複合所帯についてである。
 あなたのお爺さんは? と聞くと。石川、富山、福井、新潟、秋田、青森、山形など多彩だ。しかもいずれも異なる民俗的歴史を刻んだ地域、よく内紛もなく町が成立してきたもんだと感心する。爺さんが新潟、婆さんが秋田、母さんが石川で樺太育ちという多民俗家系も多い。
 独自の文化も風習も常識もあって、随分とややこしかったに違いない。でも家族すら形成し会社組織もつくってきた。なぜつくれたのだろう。

生命力
 なんせ身分もなければ差別も薄い、おまけに冬は恐ろしいほど脅威で、資源はあるが産業が形成されてもいない。もちろん開拓に伴う多くの犠牲者もいた。今日とは全く違い、全て手づから始めねばならなかった。そうなのだ。厳しい自然の中で、文明的なものがないなら、民俗的相違などは枝葉末節で意味を持たない。ブッチャケ生存環境はどん底なのに、文化も風習も常識も必然的に捨て、かわりに生命力が息を吹き返したのだ。
 「窮鼠猫を噛む」リアクション、「二兎を追う者は一兎をも得ず」の覚悟、「粗にして野なれど卑に非ず」の最低限のマナーを、誰もが認め許してきたのだろう。

文化
 充分誇れる光源じゃないかと思う。この歴史的光源は説明しなければ理解されない。説明しなくてもいい光源は文化として花咲いたものである。琉球音楽はそういうものだ。今から26年前に姉妹都市の交流でニュージーランドのダニーデンへ行った際、読売新聞の記者代理も依頼された。ダニーデンでは、どこへ行っても「この国の文化は?」という質問をしたが、ひとつだけ気になる答えがあった。「この国がイギリスから独立してたったの200年、文化なんてそんな急にはうまれないさ」である。黒松内では「木の育つ速度で教育を」ともいっている。
 要は、文化になりそうな原石を磨き続ける時間リレーなのかもしれない。