小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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分野(6) 様々な観光

歴史人物探索観光 小林多喜二
小樽観光ガイドクラブ・おたる案内人 一級
眞壁 睡渓 氏
090-1522-3276
E-mail:y.makabe-suikei@aqua.plala.or.jp


JR小樽築港駅:多喜二居住跡
JR小樽築港駅:多喜二居住跡

多喜二卒業の小樽区潮見台尋常小学校(現・潮見台小学校)(潮見台小学校蔵)
多喜二卒業の小樽区潮見台尋常小学校(現・潮見台小学校)(潮見台小学校蔵)
小林多喜二
 大正から昭和初期にかけて多くの作品を著した小林多喜二はここで細かく説明する必要のないほど有名な作家です。幼少から慈しみの心が強く、プロレタリア文学の旗手となりますが、当時の国家権力の拷問を受け、1933(昭和8)年、29歳の若さで惨殺されてしまいます。

小樽商科大学:多喜二資料見学
小樽商科大学:多喜二資料見学
蟹工船リバイバル
 1929(昭和4)年に多喜二は「蟹工船」を世に出します。奴隷のようにこきつかわれる蟹工船の労働を克明に描いた作品ですが、この閉ざされた労働環境が今日と似ていることから、全国の書店で「蟹工船」ブームが巻き起っています。

多喜二文学碑
多喜二文学碑
比較
 当時、我が国は、政治面では軍事体制を強化し、経済面では資本主義を強化するために企業資本力を増強する方向へ邁進していましたが、にわかに身に付いた権力や資金力が横暴性を生み、社会にイビツな波紋を広げていました。
 現在は、政治面では国民より政治家のための政治で漂流し、経済面では大企業優先の屋台骨が崩れる一方、不況ならず普況といわれるように、ある程度の文明的生活が普及する段階に至ったために、政治は信頼を失い、大方の既存業は緊縮経営をせざるを得なくなっています。その結果、「下流社会」「カフェ難民」などという用語が生まれる漂流現象が蔓延しています。
 いずれも、政治や経済がこの国に閉塞状況を築いてしまっているという点では似ています。

奥沢墓地:小林家の墓
奥沢墓地:小林家の墓
案内の意図
 眞壁睡渓氏は多喜二の優しさに傾倒し、多喜二についていろいろ調べたり学んだりしてきました。そして「もう二度とあんな時代にしてはいけない、多喜二のような犠牲者を出してはいけない」という気持ちで、小樽にいた頃の多喜二の足跡を辿り、多喜二がいかに深い愛情で地域や人々を慈しんでいたかを、そしてわずか29年の人生を誰よりも濃密に生き抜いたかを多くの人々に知ってもらおうと、何度も何度も実地検分をして、案内ルートを確立してきました。
 それぞれの場所で、多喜二は何を思い、どんな影響を受けたのかという現場検証を眞壁氏独特の史観からときほぐし、名調子の案内が心に暖かく染みこんできます。

海猫屋:多喜二作「不在地主」モデルの磯野が経営した商店の蔵
海猫屋:多喜二作「不在地主」モデルの磯野が経営した商店の蔵

旧国鉄手宮線色内駅跡:拓銀勤務時に乗降した駅
旧国鉄手宮線色内駅跡:拓銀勤務時に乗降した駅

小樽商科大学:多喜二が通学した 旧小樽高等商業学校
小樽商科大学:多喜二が通学した 旧小樽高等商業学校

ホテルヴィブラント:多喜二が勤務した旧北海道拓殖銀行
ホテルヴィブラント:多喜二が勤務した旧北海道拓殖銀行
※多喜二ゆかりのコースはお客様の時間や車の利用、また興味の範囲等によって、最適のコースを設定していますので、お気軽にご相談ください。