小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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小樽巷文化考



 創刊号で、転入者は小樽で疎外感を感じるということがありました(「民俗学」P11)が、転入者の一人として感じたままを…。
 小樽は北海道らしくないといわれることがあります。本州の人がイメージする北海道とは、地平線に向かってどこまでも続く一直線の道路と広大な畑と広い空というものに代表されるでしょう。たしかに、小樽にはそのどれも見あたりません。特に「広い」ということに関しては絶望的でさえあります。
 しかし、北海道の人情はどうでしょう。以前、道北の街を尋ねたときに、ローカルバスの終点(乗客は友人と2人だけだった)で、「どこいくの」と尋ねてきた運転手氏に行き先を告げると、「それは遠いわ。もし陽が暮れたら近所の農家に泊めてもらえばいいんだわ」といわれたのが印象的でした。いくらなんでも、見ず知らずの若造を泊めてくれるところがあるだろうかとその時は思ったものですが、おそらく頼めば泊めてくれただろうと今では思います。
 小樽でも、花園で友人と2人で食事をしようとウロウロしていたときに、「どこから来たの?」とおばあさんから声を掛けられ、友人が「東京です」と答えると、「これ持って行きなさい」とわざわざ買ってきた缶コーヒーを差し出されて驚いたことがあります。「うちの孫も東京に行っていてねえ」ととてもうれしそうだったのが心に残っています。
 冬には、狭い歩道などで行き違うときに道を譲ると、丁寧にお礼をいってくれる人(おもに年配のご婦人)が多いように思えます。なかには、かなり手前から道を除けてくれる人もいて、こちらが恐縮してしまうこともしばしばです。
 北海道の人は、本州の「田舎」の人と違って、他人に干渉することが少ないといわれます。先祖代々その土地に住んでいる人が多いところでは、他所者に対する差別意識は強烈です。よく、三代続いてはじめてその土地の人として受け入れられるというようなことも聞きます。
 明治維新のときに、新政府軍は会津攻撃で非道なことをしたので、会津地方の人の恨みは今でも強いといわれます。秋田県出身の人が福島県の旧家から奥さんをもらうため挨拶に赴いたところ、「秋田は戊辰戦争のときに何をした」といわれて言下に断られたと聞いたこともあります(秋田は幕府側の奥羽列藩同盟から離脱=裏切って新政府側についた)。日本人は淡泊といわれますが、このように過去の怨念が染みついている地域もあるのです。
 それに比べて北海道のなんと自由なことか。北海道は、先住民のアイヌ民族を除けば移民で成り立ったところですから、そういった意識はあまりなかったでしょうし、開拓で苦労をしているためか、旅行者などの通りすがりの人に対しても親切です。
 小樽では、都会のようにまったく隣の人と面識がないわけでもなく、かといって、小さな町のように、あっという間に噂がひろまるということもなく、本州のように他人の生活に過度に干渉することもない。人と人との距離感がちょうどよいのではないかという気がします。これが、他所者でも居心地よく感じるところではないでしょうか。これには個人によって感じ方が違うのはもちろんで、小樽でも息苦しいと感じたり、逆に冷たい、素っ気ないと感じたりする人もいるでしょう。
 筆者も小樽に来たばかりのときは、ある会合で「浅草橋」を東京の話と勘違いしていたくらい何も知りませんでした。だから、話題にも入れなかったし、話もほとんどしなかったように記憶しています。これは個人の性格にもよるし、誰でも最初からすんなり話に入っていけるわけではありません。これで「疎外感」を感じるのであれば、どこでもそうでしょう。顔見知りになってからも、そう感じるのであれば、その人によるのか、あるいは、回りの人によるのか。
 いずれにしても、小樽が他所者に対して閉鎖的だと思われるとしたら、観光都市としても、移住者増加を目指す街としても、取り組まなければならない大きな課題ではないでしょうか。