小樽の皆さま、小樽出身の皆さま、小樽ファンの皆さまへ! 自立した小樽を作るための地域内連携情報誌 毎月10日発行
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バックナンバー記事ランダムピックアップ
まちづくり運動から学ぶ(39)
情報戦そして攻防
【昭和58年10月15日 北海道新聞】
 小樽市は15日、市内約六万世帯の全家庭に「道道臨港線代替ルートは不可能、小樽運河百人委員会アピールに答える」と題する「広報おたる号外」を一斉配布する。「百人委員会のアピールは現実を無視した空論に過ぎない」と極めて強い調子で反論。運河問題をめぐって「チラシ合戦・・・

インフラ(15) 地域のためになくてなはらないものたち
港文化
「港文化」という言葉に定義はない。「港文化」のわかりやすい事例として、平成12年から日本土木学会が貴重な施設としてと認定している土木遺産をあげることができる。小樽には、小樽港斜路式ケーソン製作ヤード、・・・
編集後記
 今から37年前に、ある経済団体に加入し、加入2年後に青年部を立ち上げた。その創設メンバー8名のうち6名が先日集い飲んだ。他2名は病気のため欠席。この宴席で昔話に花が咲き誰もが腹を抱えて大笑いした。こ・・・

まちづくり運動から学ぶ(40)
青天の霹靂
 昭和59年4月、ベベ(岡部唯彦)から呼び出された。ポート創設メンバーの柱である山さん(山口 保)、格さん(小川原 格)、興次郎(佐々木興次郎)らと話した結果だという。
「石井、お前、今年のポートの実・・・
編集後記
 2014年の今日からおよそ50年前あたりから、音楽は日本の多くの若者にとって何よりも癒やしであり、何よりも聴くものであり、何よりもプレイするものであった。なぜなら電波媒体が国境を越えて行き交い、コン・・・

帰化人(59) 小樽こだわりのライフスタイル
原風景への旅立ち
 弘子氏は昭和31年に北海道神恵内で生まれ、18歳の時に仙台へ移転、昭和57年に金井衛氏と結婚される。ご主人の衛氏はサラリーマンで、趣味としてパンづくりをされていた。故郷の失われていく風景に対し、衛氏・・・
まちづくり運動から学ぶ(42)
マスコミ
 マスコミは運河問題の最終的動向に特に注目していた。この昭和59年ほど、運河を題材にした報道が全国に流れた年はない。北海道新聞のスクラップを見ても、報道はもちろん社説やコラムに至るまで運河づくめだ。北・・・

帰化人(60) 小樽こだわりのライフスタイル
帰化経緯
 小林氏は25年間、札幌のスイミングスクールでインストラクターとして勤務するかたわら、障害者の「ほっかいどうタンポポ」水泳アドバイザーとして、札幌や小樽で重度の障害者の指導を行い、また養護学校の教師の・・・
編集後記
 余裕とは「裕な余り」と書く。俗っぽくとらえれば、人は義務と権利を持つから、一日の仕事や生活において、しなければならない義務を果たし、少しの余り時間で好きなことをする権利を持つことから、この権利が余裕・・・